現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 モーリス・ベジャールさんを悼む2007年11月24日10時51分 22日死去した振付家モーリス・ベジャールさんは、舞踊の世界にとどまらず、音楽や演劇、映画など様々な表現ジャンルに大きな足跡を残した。日本の伝統文化とも深い関係にあったベジャール芸術の魅力を、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さん、元バレエダンサーの俳優小林十市さん、舞踊評論家の佐々木涼子さんが語った。 踊り引き出す「お父さん」 坂東玉三郎さん〈歌舞伎俳優〉 初めてお会いしたのは約30年前。94年初演の「リア王〜コーデリアの死」などを共演したり振り付けていただいたりして、影響を受けました。踊り手の個性をつかみ出し、花咲かせる力。踊れない人でも、その人ならではの踊りを引き出すのです。 コンテンポラリーというより古典的。芸術が根ざす思想や風土を理解した上で現代に導き出す。だから文学者をも楽しませた。東洋文化も深く理解したから「ザ・カブキ」などが生まれたのだと思います。 歌舞伎舞踊にもある「黒塚」を踊った時、「サーカス小屋に入った気分で、よかった」と。サーカスもバレエも上下をつけず、客席での楽しさを何より重視していらっしゃった。 作品によく出たジョルジュ・ドンさんもパトリック・デュポンさんも、やんちゃなところがあってしかられたけど、すぐに許して受け入れる大きな存在でした。ドンさんの死後、死生観を反映した作品が目立つようになりましたね。 起伏の激しい作品を作る方という印象もあるが、少なくとも晩年はすごく優しくて、僕は心の中で「お父さん」と呼んでいました。 見せ方天才的だった 小林十市さん〈元バレエダンサー〉 今月も車いすでけいこ場に出てきたそうです。12月発表の新作「80分で世界一周」の振り付けもしていたと聞きました。 89年に彼のバレエ団に入りました。93年の「M」では主役を踊り、振り付け助手もするようになった。 97年の「バレエ・フォー・ライフ」でもソロを作ってもらいましたが、彼はまず曲を選び、一緒に聴く。それから一つずつの動作を作り、五つくらいできたら曲に合わせて踊る。すごくぜいたくな時間でしたね。 指示は具体的で、作品の持つ意味などを語ることは少なかった。一つひとつの動きは決して複雑ではなく、むしろシンプル。動きに人間くささがあり、ダンサーが感情を乗せやすかった。曲の選択や構成の仕方といった見せ方が天才的でしたね。 彼の舞台ではいつも自分でいられた。「西洋の王子様」を演じるのではなく、「日本人の小林十市」として完全燃焼ができる。ショーとして見せるという感覚ではなく、舞台の上で生きることができた。 見る人にショックを与えるような作品もありましたが、根本には、どんな人間をも包み込む深く大きな愛があったと感じます。 新たな表現 追求し続け 佐々木涼子さん〈舞踏評論家〉 哲学的な思索とスペクタクル。一見矛盾するこのふたつの要素がベジャール作品に同居していた。閉鎖的で特権的だったバレエが飛躍的に間口を広げた20世紀のシンボル的存在だった。 たとえば「春の祭典」。新しい命が生まれる奇跡をどう現代的に表現するか考えていた時、発情して交尾する鹿をテレビで見たのをきっかけに、荒々しい性の祝祭劇を世に放つことになる。この作品で彼は、劇場全体を揺るがす「コツ」をつかんだのだと思う。 「ボレロ」もそう。女性の挑発に男たちが群れるという図式自体は、すでに他の振付家が実現していた。ベジャールが非凡だったのは、それを男性のジョルジュ・ドンに踊らせたこと。 ドン自身が性を超えた、祭司さながらの神々しい存在となり、作品に新たなカリスマ性を与えた。ドンとの出会いで、彼の芸術はさらなる飛翔(ひしょう)を遂げた。 誰よりも古典の素晴らしさを知りながら、そこにとどまらず、驚くべき創造力で常に新しい表現を切り開き続けてきた。全盛期には、一度つくった作品は再演しなかった。自ら課したとはいえ、いばらの道だったろうと思う。 PR情報文化・芸能
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