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自称「翻訳マシン」にこめた選別眼 高桑和巳さん 現代思想研究者

2007年11月24日15時58分

 「基本的に『翻訳マシン』ですから」。自嘲(じちょう)でなく、確かな自負を込めて、そう語る。

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高桑和巳さん

 ミシェル・フーコー『安全・領土・人口』、ジョルジョ・アガンベン『人権の彼方(かなた)に』『ホモ・サケル』など、ここ数年の旺盛な仕事が注目されている。

 特にアガンベンの翻訳に関しては、第一走者を自任する。美学研究でも知られるイタリア人学者の政治哲学の仕事を、初めて日本に紹介したからだ。人間の生が危機にさらされる世界の構造を掘り下げ、主権権力の外に置かれた古代ローマの罪人「ホモ・サケル」の「剥(む)き出しの生」に重ね合わせて、いま最も刺激的な思想の一つといわれる。

 「世界は法ありきで動いているとされていたのに、彼は法こそが法の外(例外)を作り常態化させたと考えた。『テロリスト』の処遇からイラク軍事作戦まで、9・11後の米国を始めとする列強の動きは、この図式に乗っている」

 東大時代はバタイユを読み、大学院修士課程修了後、パリに留学。文学と政治のあいだ、思想と政治のあいだに関心は行き着き「鬱々(うつうつ)としていた」ころ、アガンベンの著作と出あう。着想の面白さと徹底した理論化に深く共感した。現在は慶大専任講師として現代思想を教える。

 最新作は、日本思想史研究の芹沢一也氏との共編著、『フーコーの後で』(慶応義塾大学出版会)。70年代後半の著作をめぐる若手の競作で、自身の論文も収めたが、「自分の思想にあまり興味がない」と「翻訳マシン」発言を繰り返す。「僕がいるから変な人たちが集まってくる、『空き地の管理人』みたいな存在が目標ですね」

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