現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 現代美術家7人が集結 「プライマリー・フィールド」展2007年12月19日16時16分 政治も犯罪も劇場化し、美術の世界でも、巨匠展や、話題性・スペクタクル性を求めた展示に注目が集まる。そのなかで、1949〜61年生まれの実力派の現代美術家7人を集めたこの企画は、かなり異質だ。
最初に出あう吉川陽一郎の新作は天井に届くほどの大作だが、ぜんぜん力強くない。細い鉄材の格子を電気コードを束ねるバンドを使って組み上げ、円筒状にしている。全体は自重でゆがみ、その「つけ入るスキ」が、開放感も生んでいる。 多和圭三はもっと寡黙。鉄の直方体が四つ、置かれているだけだ。だが表面に残る金づちの無数の跡からはたたくという身体行為が浮上する。大森博之の、石膏(せっこう)などによるヌメヌメと波打つ立体は、じっと見ると、鍾乳石や生命体のようでもある。手が繰り返し動いたことをよりはっきり思わせ、官能的。 ここまで見て、出品作の多くは「繰り返し」や「手の跡」、あるいは「開かれた」感覚で通じていることに気づく。なるほど、「プライマリー=原初的」。石川順恵の絵画にも、無限に続く色面の一部を切り取った感覚があるし、物語的な空間構成を見せる坂口寛敏の絵画にも、ドットの繰り返しが現れている。 そして、青木野枝とさかぎしよしおう。青木は鉄のフレームによる、高さ5メートルほどのドームを見せる。フレームは、溶断跡のある小さな鉄の円盤を繰り返しつないだものだ。下から見上げれば、円盤がぐんぐん積み上がるさまが見える気がする。 さかぎしの20点の多くは、手のひらサイズの焼き物。といっても、スポイトで磁器用の土の粒を作り、それを延々と積み重ねて立体にしたものだ。細胞の増殖にも、建物のかけらにも見える。白と水色の粒の重なりがどこか愛らしく、途方もない繰り返しが目に浮かぶ。 声高に叫ぶ表現は少なく、退屈さを覚える人もいるだろうが、強いて言えば「静かな劇」といった趣か。いくつかの作品に向き合えば、スペクタクルな表現では見えにくい「生成の場」に立ち会うような静かな興奮が味わえる。 ◇ 08年1月14日まで、神奈川県葉山町一色2208の1の神奈川県立近代美術館・葉山で。12月25日、29〜1月3日、7日休み。 PR情報この記事の関連情報文化・芸能
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