現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 弥生の始まり、なぜ誤った? 東大研究室が検証2008年02月09日11時11分 弥生時代の始まりをめぐり、東京大考古学研究室の教員と学生たちが3年にわたり取り組んできた検証研究が報告書にまとまった。加速器質量分析法(AMS)の測定データが示した、弥生の起源は紀元前10世紀までさかのぼるとの見解を考古学的に検証すると同時に、長い間、考古学者たちが早くとも前5世紀ごろと考えてきた背景に迫ろうとの作業だ。「私たちはなぜ間違えていたのだろう」といった自問自答もかいま見える。 03年5月、弥生時代の始まりが約500年古くなると国立歴史民俗博物館の研究班が発表するのを聞きながら、東大の大貫静夫教授は納得ができたという。頭に浮かんだのは約40年前に北朝鮮で発表された報告書だった。「AMSが初めて指摘したのではない。なぜ気づかなかったかを明らかにしない限り次の研究は始められない」と感じた。 弥生時代の始まりは、列島内では決められない。考古学的な手法では、まず一番古い弥生土器と同じ時期の朝鮮半島の土器を探す。その土器と同じ時期の金属器を朝鮮で特定、その金属器と同時期の中国東北地方の金属器を見つけ、手がかりをつなげ中国の中心地の文物に結びつける。ここで初めて年代を記した文字にたどりつく。 最大の手がかりとされてきたのは遼寧式銅剣だ。朝鮮との間に位置する中国の遼寧地方で発達した銅剣の型式の変化をもとに時代を測る物差しが作られてきた。戦国の七雄の一つの燕が、遼寧に進出したのが前300年ごろと「史記」に記されている。この動きが稲作などの弥生文化を日本にもたらす要因だったと考え、銅剣の型式変化とリンクさせ日本の弥生時代の始まりを考えてきた。 だが、1960年代に中国と北朝鮮が一帯で実施した共同調査で、遼寧西部での銅剣の登場はそれまでの見方より早かったという考えが示されていた。文革の混乱のため、北朝鮮からだけ発表された報告書の中にあった記述だ。 だが、この見解は日本の弥生時代研究には反映されなかった。遼寧西部での登場は古くても、遼寧東部に伝わるまでには時間がかかったはずだなどと解釈し、新たな研究で生まれた時間差を吸収してしまった。 遼寧での調査は昭和の初め、日本人の研究者も手がけ、土器や瓦、金属器などの出土品が東大の研究室に保管されていた。今回、当時の出土品を大貫さんたちは丹念に点検し、現地調査も重ねた結果、歴博による年代観と必ずしも合致するものではないが、弥生時代の始まりだけでなく、北東アジア一帯の古代史が古くなる可能性が記された。 「大陸の年代から弥生時代の年代を決めるべきなのに、ある時から、弥生の年代が大陸の年代を決めるという本末転倒なことが一部で起きた。そのため史記も都合よく利用されてきた」と大貫さん。「呪縛が解ければ、やっぱりそうだったんだ、と気づいた。その手がかりは、身近にあったのに」と検証作業を総括した。 PR情報この記事の関連情報 |