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原民喜の短編「雲の裂け目」 初期の草稿発見

2008年03月11日10時43分

 被爆体験をつづった「夏の花」で知られる作家、原民喜(1905〜51)の未発表原稿が見つかった。47年に発表された短編「雲の裂け目」の初期段階の草稿とみられるが、文章はまったく異なる。民喜は普通の社会生活を送るのが困難なほど極端な無口だったとされるが、発表稿にはない、〈一人立(ひとりだち)の出来ない大人になつてゐた〉原因が草稿には直接に記されており、民喜の人格形成の原点に迫る資料として注目される。

写真見つかった草稿は、戦前に発表した小説の原稿の裏に書かれており、当時の原民喜の窮状もうかがえる

 草稿は、遺族から広島市立中央図書館に寄贈された遺品1400点余りの中から、民喜の研究者である「広島花幻忌の会」会員の竹原陽子さんが見つけた。戦前に発表した原稿の裏に5枚にわたって書かれていた。

 「雲の裂け目」は、亡くなった妻に語りかけるスタイルの連作「美しき死の岸に」の1編で、父親の臨終を扱っている。民喜が社会不適応者になった原因として、これまでも11歳の時に純真な父親を亡くしたことが一因ではないか、との見方があったが、今回発見された草稿には、それを裏付ける直接的な記述がある。

 〈父を失つてからの私は、何かこの世に漲(みなぎ)る父性的のものに絶えず威あつされて……人と争ふことも親しむことも好まず内側へ内側へと消え入らうとした。さうして、何時(いつ)までたつても、一人立の出来ない大人になつてゐた〉

 また草稿には、父の臨終をいつか書きたいと思いながら〈何故(なぜ)か微妙なつかへがあつて書けなかつた〉と記しており、冒頭には〈私の父は大正六年二月二十七日夜半に死んだ〉と書きながら線で消している。いずれ直視すべき自らのトラウマに、ようやく取り組んだ作品であることが伺える。

 発見した竹原さんは「これまでも父の死がトラウマの原因だったと推定はされていたが、民喜自身が具体的に書いたものはなかった。〈父性的のもの〉に威圧されて、などと、自らの心理をつづった記述はこの草稿が初めて。草稿では発表作よりも内面が赤裸々に書かれていて、自己克服するために父の死をとらえ直す必要があったのでしょう」とみる。

 今回見つかった原稿の全文と解説は、4月10日発売の「三田文学」春季号に掲載される。

■完成への過程 知る手がかり

 民喜に詳しい岩崎文人・広島大大学院教授の話 骨格が同一なので、『雲の裂け目』の草稿に間違いないだろう。草稿には父の喪失と家の喪失とを重ねて描かれているが、やや硬い。完成稿では、民喜の鋭敏な感受性と共に、妻への鎮魂の思い、温かなまなざしが加わり作品として熟している。民喜の草稿はあまり見つかっておらず、作品完成のプロセスを知る手がかりとなる貴重な資料だ

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