現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事

江戸時代は本当に鎖国か? 見直し進む対外歴史研究

2008年03月12日10時53分

 「鎖国」とは、江戸時代に幕府が交易の相手をオランダと中国に限り、日本人の海外渡航を禁じた政策――と習った記憶がある。ところが、「江戸時代は必ずしも鎖国の時代といえない」という見解が近年、歴史研究者の間で主流になっている。「鎖国」の言葉そのものを使わない教科書も登場している。

図  

◆教科書も単純な記述避ける

 「近世日本は、『鎖国』をしていたと思われがちだが、東アジアのなかで孤立していたわけではない」

 18日に江戸時代の展示を衣替えする国立歴史民俗博物館(千葉県)は、対外関係の説明をこう改める。2年前までは、「鎖国体制が確立すると……」といった記述があり、今回力を入れる朝鮮や琉球、アイヌについての展示はなかった。

 担当した久留島浩教授は「東アジアの国際関係研究がこの20年ほどで進み、『江戸幕府は鎖国政策をとっていた』と正面から主張する研究者はほとんどいなくなった」と言う。

 研究成果の反映が遅いといわれる歴史教科書も、変化の波に洗われている。今春から使われる高校の教科書では、「いわゆる鎖国」「『鎖国』の完成」など、単純に「鎖国」と記すのを避けたものが目立つ。こうした記述は90年代半ばから見られるようになった。

 山川出版社「新日本史」に至っては、本文中にまったく出てこない。著者の藤田覚・東京大教授は「幕府は最初から鎖国を意図していたわけでない。その状態がたまたま200年ほど続いた『なんとなく鎖国』だったと考えるほうが実態に近い」と理由を明かす。

 17世紀前半(江戸前期)、植民地化などを恐れた幕府は、キリスト教の布教に熱心なスペインやポルトガルの船の来航、日本人の海外渡航などを相次いで禁じた。ただ、想定外の出来事も重なった。中国(明)に国交を求めて断られたり、イギリスがオランダとの競争に敗れて日本から撤退したり。その結果、海外との往来が減ったのだという。

 一方で、「日本は、欧州との関係を制限したが、東アジアとのつながりは保った」と荒野泰典・立教大教授は言う。幕府は、海外へ向けた4カ所の窓口(「四つの口」)を開き、直轄や大名を通じた交易で利益を上げた。朝鮮・琉球と国交を結んで将軍の代替わりごとに使節を迎え、中国・オランダから生糸や薬品、蝦夷地からは木材や海産物などを交易で得た。

 従来の研究は、17世紀の日本を国際社会から孤立していく過程ととらえ、「鎖国」と呼んだ。だが、「同時代の世界で開かれた国家はあったのでしょうか」と荒野教授。中国や朝鮮もキリスト教を禁じて外国人との接触を制限する政策をとり、ヨーロッパでは政府や東インド会社がほぼ独占的に交易をしていた。

◆タテマエに縛られた見解

 「鎖国」という言葉が登場したのは、19世紀(江戸後期)に入ってからとされる。オランダ語通訳で蘭学者の志筑(しづき)忠雄が1801年、オランダ商館の医師ケンペルの著書『日本誌』の一部を『鎖国論』と名づけて訳した。幕府が禁教令などを出した17世紀に「鎖国」の概念はなかった。

 藤田教授によれば、「鎖国」が日本古来の「祖法」と見なされていったのは18世紀末(江戸後期)以降。ロシアの使節ラクスマンが通商を求め根室に来航したのに接し、幕府が1793年、従来の対外政策を「国法」と文書に記したのがきっかけだったが、強国ロシアとの紛争を避けるため、貿易もやむなしとの考えも幕府にあったという。「でも、タテマエとして『国法』『祖法』を持ち出してしまった以上、その後は見解を容易には変えられなかった」(藤田教授)

 明治以降も、江戸時代の対外関係研究は「鎖国」という言葉に縛られた。だが、1970年代に入り、アジア地域との関係に着目する歴史研究者が増え、江戸時代の国際関係の枠組みを見直し始めた、と荒野教授はみる。「鎖国が独自の文化を育んだ」「鎖国のせいで世界から遅れた」といった、鎖国の功罪をめぐる議論は下火となった。

 「とはいえ、『国を完全に閉ざしていた』という認識は依然として強い。当時の実態をもっと明らかにするために、琉球やアイヌなどの制度や経済に関する研究をさらに進めることが大事」と高埜利彦・学習院大教授は指摘する。

   ◇

〈江戸時代の対外関係史〉

1612 幕府がキリスト教の禁教令を出す

1633 奉書船(渡航が許可された船)以外の海外渡航を禁止

1635 日本人の海外渡航と帰国を禁止

1637 島原の乱(〜38)

1639 ポルトガル船の来航を禁止

1641 オランダ商館を平戸から長崎・出島へ移転

1792 ロシア使節ラクスマンが根室に来航

1801 志筑忠雄訳『鎖国論』が完成

1854 日米和親条約

1858 日米修好通商条約

(太字は研究で「鎖国令」とされてきた主な施策)

PR情報

このページのトップに戻る