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親鸞よもう一度 750回忌法要前に思想を再検討

2008年03月25日10時55分

 浄土真宗の宗祖・親鸞(1173〜1262)の750回忌の主な法要が、2011年から12年にかけて営まれるのを機に、その思想の再検討が進んでいる。明治以降に本格化した研究が、新たな資料解釈などにより、大きな転換点を迎えているからだ。

 親鸞は、やや後の道元、日蓮らとともに、鎌倉の仏教改革運動を進めた宗教家とされる。ところが近年の研究で、親鸞らの教えは、当時の社会にあまり影響を及ぼしていなかったことがわかってきた。

 親鸞や師の法然らが批判した真言宗や天台宗など旧仏教の影響力が依然として強かったことが、資料などから裏付けられたからだ。

 例えば、親鸞思想の革新性とされる「悪人正機説」は、先行し法然が唱えたことは知られてきた。その法然より前に、旧仏教が「どんな悪人も念仏を唱えれば極楽往生できる」と説き、民衆に信じられていたことが、平安期の貴族の日記や歌謡集「梁塵秘抄」から浮かび上がっている。

●「平等に悪人」

 大阪大の平雅行教授によると、旧仏教は来世への恐怖感をあおり、民衆を神仏の敵(悪人)と善人に選別することで身分や性の差別を正当化したのに対し、親鸞は徹底して平等を主張した。人間はみな、悪を犯そうとしたことがあるし、悪を犯しうる。だから、すべての人間は平等に悪人であるという論法だ。「ここに親鸞思想の新しさと普遍性がある」と指摘する。

 浄土真宗は戦国期に民衆に広まり、江戸期に独自の教団となった。とはいえ、親鸞が今のように広く知られたのは明治以降だ。東本願寺の僧侶・清沢満之(まんし)(1863〜1903)らの紹介で、思想書として「歎異抄」が読まれるようになったのが一因とされる。

 大正期には「歎異抄」などを元に倉田百三(1891〜1943)が戯曲「出家とその弟子」を発表。近代的自我を持つ人物として親鸞らが描かれ、作家のロマン・ロランが絶賛したこともあり、親鸞ブームとよべる社会現象が起きた。

 このころ、客観的な歴史資料がないという理由から「親鸞は実在しなかった」とする学説が出たこともブームに拍車をかけた。

 ところが、1921年に西本願寺で見つかった親鸞の妻・恵信尼(1182〜没年不詳)の書状に、生前の親鸞の記録があるのがわかり、かえって親鸞や「歎異抄」への注目度は増した。

 だが、東京大の末木文美士(ふみひこ)教授は「『歎異抄』だけに頼り解釈を進めるべきではない」と言う。親鸞の死から20年ほどして弟子の唯円が書いたとされており、「親鸞自身が書いた一次資料ではない」として親鸞の主著「教行信証」を重視する立場だ。

 末木教授によると「教行信証」の往生説と、空海の即身成仏説との類似点を指摘することも可能だ。ただし、読解には幅広い仏教の知識が必要で、研究者以外には「教行信証」は敬遠されてきた。「だからといって、『歎異抄』だけで親鸞を市民に語る時代は終わった」と指摘する。

●人の本性直視

 親鸞の死後の戦国期に、浄土真宗の門徒らが戦国大名と対立した。これをマルクス主義的な歴史観で解釈し、民衆の解放者という親鸞像も戦後に広まった。

 東北大の佐藤弘夫教授は「仏教思想の研究が進み、そんな親鸞像は消えつつある」と話した上で「親鸞は人間の本性を真正面から見つめ、肯定し、乗り越えようとした。戦争や紛争などが大きな問題になるなか、親鸞の思想はますます重要になる」と予測する。

 教団側はどうみるか。

 元龍谷大学長で、浄土真宗教学伝道研究センターの上山大峻所長は「平和への願いや、あらゆる命を大切にする生命観など仏教には大きな長所がある。教団も実証主義的な研究を採り入れ解釈を進めているが、大切なのは、お釈迦(しゃか)様の教えの原点を忘れないことだ」と話している。

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