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善光寺の聖火リレー辞退 舞台裏で僧侶らは

2008年04月24日10時46分

 北京五輪の聖火リレーで、26日の出発地となるはずだった長野市の善光寺。その機会を辞退した舞台裏では、弾圧が伝えられるチベットに対して、どのようなメッセージを出すべきかの議論があった。そこに、宗教と社会の距離を測りあぐねる姿が見える。

 辞退を発表した18日、幹部は理由としてまず混乱回避を挙げた。チベット問題については「同じ仏教徒として憂慮した」と述べたが、踏み込んだ発言はなかった。

 複数の関係者によると、まだ出発地とするのが前提だった10日ごろ、たとえ予定通りに行うにしてもチベット問題について明確な姿勢を示すべきだとの意見が出始めていた。しかし「政治的な要素がからむから……」という消極論と平行線をたどった。

 その後、「このまま進めたら、チベットの人はどう思うだろうか」との声が増し、辞退へと流れが変わった。会議に参加した一人は辞退そのものに「精神的な連帯」が込められていると言うが、寺全体としてはそうした表現にも慎重だ。これには天台宗と浄土宗が共同で住職を務める、善光寺の特殊性もからむ。計39の寺院が支え、総意をまとめるには時間がかかる。

 善光寺の一部の僧侶は、別の寺の有志と計7人で「平和を願う僧侶の会」をつくった。近く、一連の騒乱で死亡した人々の追悼をする。ある僧侶は、今回の辞退に合わせてメッセージを発信できなかったことを残念だと語った。

 「非業の死を遂げた人、殺す側となった人にはそれぞれ人間存在のかなしさを感じる。仏教は多様なものの調和を説く。自分の信念とは別のあり方も認める社会の実現に向け、語りかけていきたい」

 チベットや軍政下のミャンマー(ビルマ)では僧侶がデモの先頭に立つ。それを理解するうえで欠かせないキーワードが「エンゲイジド・ブディズム」で、行動する仏教とも訳される。仏教は人の「苦」の原因を個人の内面に探究するが、原因は社会の側にもあるのではないかと考えるのだ。

 ベトナム戦争の最中、南ベトナムの僧侶たちは、戦争を終わらせないどころか仏教徒を弾圧する政府に対して、激しい運動を展開した。抗議のために焼身自殺する僧侶の写真は世界に配信された。

 現実から超然とするところに宗教の価値を見いだす立場もあるだろう。しかし、宗教者が他者の「苦」を自分の「苦」として心から分かち合うとき、以前と言葉や行動が違ってくるのはむしろ自然ではないか。チベット問題は善光寺に限らず、広く宗教者に問いを投げかけたように思える。(磯村健太郎)

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