

1日の半分は、夜。人生の半分も、夜、つまり闇だ。人は、闇から逃れるために眠るのだろうか。
吉田茂規(しげき)(63年生まれ)は、この闇の不穏さと向き合うような白黒写真31点を発表している。
ニューヨークの街角や駅といった日常的な場面。にもかかわらずそうと分かるのに時間を要するのは、目を凝らさないと細部が見えないほどに暗いからだは「Grand Central」(00年)。
闇というより黒い霧に覆われたような不穏さがある。光が差し込む以前の、方向も意味もない世界。そこをわずかな明かりを頼りに、さまよう感覚。想像力は、はっきりと見えない部分や過ぎ去った時間に向かう。そんな闇から表現は生まれたのだと夢想させる。
これに対し、下西進(77年生まれ)の、モニター2台による「I am on the air」は、もっと現実的な不穏さを描き出す。
右側の画面では、地方のテレビの情報番組などで放映された、街角からの中継リポートが次々流れる。そこに必ず、黒いTシャツ姿の男がビデオカメラを持って現れ、リポーターの背後に近づく。その存在の不穏なこと。「あっ」と思った瞬間に、しかし彼は数秒で去ってゆく。下西自身だ。
左側の画面では、下西のカメラが撮った映像が流れる。手で追い払おうとするスタッフもいるが、状況がのみ込めないのか不思議そうにしていることも。下西の姿を見ているスタジオのキャスターや背後に気づいたリポーターも、ほんの一瞬戸惑いの反応を示すが、すぐに「何もなかったかのように」明るく振る舞う。
下西のゲリラ的な試みは、日本中の至る所がスタジオ化して「見られる」対象となり、だからこそビデオを持った「見る」主体もそこに侵入できてしまう現実を浮上させる。さらに携帯電話や監視用のカメラの増殖。しかし描き出される最たるものは、それをいわばノイズやバグのようにやり過ごしてしまう私たちの日常だろう。
吉田が描いた闇とは対極の、すべてが映し出される「眠らぬ日常」がそこにある。(大西若人)
◇吉田展は12日まで、東京・銀座8の10の5の東京画廊。下西展は29日まで、同・京橋3の6の18のINAXギャラリー。日曜祝日休み。