若き日に土木用鋼板で太巻きずしのようなチューブ状の茶室を作った建築家で早稲田大教授の石山修武さん(64)が、東京の世田谷美術館で個展を開いている(8月17日まで)。「建築がみる夢」というタイトル通り、未来に向けた計画が多く並ぶ。ツルツルピカピカの現代建築に背を向けた、野太い夢の数々だ。(大西若人)
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「回顧展はいやだった。満足なものを建てたという気分もないので」と石山さん。
後段は謙遜(けんそん)だろう。出世作のチューブ状「幻庵(げんあん)」(75年)を皮切りに、左官文化を生かした伊豆の長八美術館(84年、吉田五十八賞)や造船技術を使ったリアスアーク美術館(94年、日本建築学会賞)などで、建築界の注目を集めてきた。だがそうした代表作は、最後にひとまとめにしている。
一方、メーン展示の12の計画のうち、完成しているのはプノンペンの「ひろしまハウス」のみ。広島の市民団体の依頼で、募金をもとに現地調達したれんがを積み上げていった平和交流施設だ。石山さんが夢中になって取り組んだ建物は、武骨ながら詩情をたたえている。
自邸「世田谷村」は、97年に建てられ始めた。古い自宅を壊さずにタカアシガニがまたぐように鉄骨を組み、施工には自身や学生も参加。すでに住んでいるが、未完成だ。多くの人の出入りを想定して「村」と名付け、一時は留学生が住んだり、学生が出入りしたり。屋上を菜園にするなど、変化し続けている。
そのほか、無人島で自給自足をする計画や、東京・浅草の街を映像やハイテク山車12台で変えようという非建築的な計画など。新しい空間像を提案する建築家たちとはかなり違う。「空間原理も考えますが、それより集団モデルとか社会モデルに向かう。周囲に『前進!』の声を掛けるのが嫌いじゃないんです」
「もうからないし、困るなあ」と思いつつ、早くから「前衛」の自覚はある。合理的でしゃれた、ごく普通の依頼は最初からやるつもりもない。この前傾姿勢で多くの地域と人とともに「くたくたになりながらも生き生きとする」のが、石山流だ。
消費社会には違和感を抱くが、ネット社会には可能性を感じ、研究室のサイトで「世田谷村日記」を書き続ける。「建築は1人ではできないから、直接多くの人に語りかけるのは重要。展覧会も、みなさんがどう見るのか知りたい」
そして、こうつぶやいた。
「『大衆的前衛』というのが、ありえるのかな」