ドリフだねそれもドリフだオッスもいっちょオッスあたりいちめんドリフとなりぬ(穂村弘、「短歌往来」7月号)
大理石の風に押し広げられた微笑(アナロジー)はたぶんハイブリッドな光の長女でケチャップリケッチャユートピケッチャ(長谷川眞理子、「未来」7月号・加藤治郎選歌欄)
面白いけど短歌にしてはめちゃ長い……。とはいえ有力歌人の、片や有力歌人の選を通った作品なのだ。長い短歌というべきか。
短歌とは――57音節を5句組み合わせた31音の定型詩。だが定義は原則。昨今、“短歌”のボディーは弾力性を増しているらしい。相当に膨らむし、歌語らしからぬ言葉もバリバリ食する。丈夫な胃袋みたいだ。
などと思いつつ、梶原さい子さん(37)の「書き言葉の長さについて」(「塔」5月号)を興味深く読んだ。第1回(1954)〜49回(2006)短歌研究新人賞作を検討した、“定型”の伸びたり縮んだりを巡る考察だ。
梶原さんは各受賞作の歌群50〜30首の一首あたりの平均文字数を算出。時間軸上に落として、78年〜90年代前半にかけての全体に右肩上がりの動きをとらえている。ちなみに最長の一首は〈「只今ノ発言ニ不適切ナ表現ガアッタコトオワビシマス」いつのまにか雨となりたる街か〉(90年、藤原龍一郎)、39字。
「長くなる傾向の背景には、俵万智さんの『サラダ記念日』ブームに象徴される口語短歌の台頭があると思う」と梶原さん。「そしてカタカナ使用の増加。カタカナでしか表せないモノや概念が増えたのです」
執筆の動機付けを「『君が好き』ではなく『君みたいな人が好きなような気がする』といった若者のぼかし言葉が入ってきつつある。すると短歌は長くなる、との仮説をたてた」という。「でも最近は、文字数は横ばいから漸減」
「*▼など記号や外国語の原語を使う歌も出始めたが、この時作者は短歌の証明として逆に定型を守る、そういうことの表れでは」
なるほど。原則31音のしばりの中でどこまで冒険出来るか。言葉を伸び縮みさせながらの、歌人たちの実験か。「定点観測を続ける」という梶原さんの、追跡が楽しみだ。(河合真帆)