子規たちの郵便回覧句会で編まれた「女十句集」
近代俳句の革新につとめた正岡子規(1867〜1902)の命日「糸瓜(へちま)忌」は19日。合わせて、終生の居宅となった東京・根岸の子規庵で「女十句集と明治の郵便回覧句会」展が開かれている。(佐々木正紀)
◇
子規が発案した郵便回覧句会は20人前後が参加し、1896年から子規の死去まで続いた。参加者には高浜虚子、河東碧梧桐、内藤鳴雪などの名がある。
要領はこんなふうだった。毎月1回、魚・土地・杉・目など決まったテーマで各人が10句を送る。幹事役が、季節ごとに各句を清書し、冊子にして郵便で回覧。各人の選句結果を幹事が朱筆で入れ、再び郵便で回覧した。冊子は句会で最高点を得た参加者が落巻する決まりで、全部で七十数冊編まれたことになる。
句集の存在と、内容の一部は全集などで知られていたが、かつて公開されたことはないという。今回は子規が所有した10冊を展示している。
「女十句集」は「女」がテーマで180句を収める。〈小柄杓で女水打つ戸口かな 上原三川〉〈大妓小妓起き出て牡丹日午也 内藤鳴雪〉や〈短夜の遊女客起し五時よといふ 中村其村〉など。最高点は18人が計31点をつけた子規の〈行年や母健(すこやか)に我病めり〉だった。
冊子には子規が「次の題は『飯』は水飯、筍飯、茶飯……但し粥、おじや、丼等は除く」などと記し、幹事の虚子が「一人の手に留まること二十四時間を超ゆべからず」といった規則などを書き添えている。
調査にあたった詩人の平出隆・多摩美術大教授は「子規はいろんなことに敏感で、郵便制度を新しい句会に組み込むアイデアマンだった。子規庵での句会や執筆などで忙しい中の郵便句会は、大変なエネルギーが要ったはず」と語る。
子規はどんな句を詠み、虚子はどんな句を採ったのか。この句会のテーマには、他に「字余り」や、切れ字の「や」「かな」の使用を義務づけた回もあり、これらは現代につながるテーマだ。消印などから推して、当時の都内は1日12回集配し、午前に投函(とうかん)すれば午後には届いた――といった郵便事情もわかったという。
子規庵保存会の田浦徹さんは「2時間以上、ゆったりとしていく人もいます。子規の居た空気に触れてほしい」と話す。30日まで。