五姓田義松「西洋婦人像」
山本芳翠「浦島図」
油絵は、質感や量感のリアルな表現に優れているといわれる。それを目の当たりにした、幕末や明治初期の画家たちの驚きは、いかほどだっただろう。しかも、写真までほぼ同時にやって来ている。今展は、主に明治期、西洋表現の日本への定着に尽くしたが、高橋由一らの陰に隠れがちだった五姓田(ごせだ)派の画家たちの格闘の跡を、多くの作品・資料でたどる力作だ。
五姓田派は、歌川国芳に学んだ初代五姓田芳柳(ほうりゅう)(1827〜92)が始祖。横浜で、主に外国人相手に「横浜絵」を制作した。多く残るのは日本人を含む肖像画だが、そこでは西洋絵画の立体感や明暗を採り入れつつも、使う画材は主に絹地に水彩という手慣れたものだ。作り物っぽさも残るが、「本物そっくり」の驚きは、売り物として魅力的なものだったろう。
これに対し、次男の五姓田義松(1855〜1915)は早くも幕末に、英国の画家ワーグマンに油絵を学び始め、驚くほどの習熟を見せる。特に、その後のパリ留学中の「西洋婦人像」(1881年)などは、身体のボリュームといい質感といい、ヨーロッパ人の作と見まがうほどだ。
初代芳柳に学んだ山本芳翠(1850〜1906)もパリに学び、義松をしのぐほどの流麗な婦人像などを残している。さらに、義松の妹・渡辺幽香、初代の養子だった二世芳柳、渡辺文三郎、平木政次ら一門の作品も多く紹介。彼らが明治の洋画表現に大きな役割を果たしたことが分かる。
一方で、会場のそこここで、どこか作り物めいたキッチュ(いかもの)な感覚を抱いてしまう。西洋婦人など、もともと西洋画の題材だった存在を描く時はしっくり収まる一方、例えば日本のおとぎ話を絵画化した芳翠の「浦島図」(1893〜95年)などになると強烈な違和感を放つ。
細部は精巧に描かれているのに、女性群像のバタ臭さや下卑た感じはどこから来るのか。初代芳柳らが油絵を「見せ物」と捕らえていた流れをくむ大衆性のゆえなのか。目の前にないものをリアルに描くほどには日本人の油絵解釈が進んでいなかったのか。
そして、現在の我々はどんなリアルな絵画表現を持ち得ているのか、などと足元を見つめることにもなるのだ。(大西若人)
◇28日まで、横浜市中区の神奈川県立歴史博物館。22日休み。