最後の「同人雑誌評」が載った「文学界」12月号
半世紀以上にわたり、全国の同人誌に掲載された小説を取り上げてきた「文学界」(文芸春秋)の名物欄「同人雑誌評」が、7日発売の12月号で打ち切りとなった。同人の高齢化が進み、寄せられる同人誌が激減したためという。文芸誌の中で同人誌を定期的に紹介していたのは「文学界」が唯一で、かつては多くの作家が輩出した同人誌の役割が岐路に立たされている。
「文学界」の「同人雑誌評」は1951年に始まり、無名の新人や地方の作家の作品を紹介してきた。55年には「太陽の季節」に先駆けて石原慎太郎氏が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」を〈今月第一の力作〉と激賞。60年には柴田翔氏が同人誌「象」に発表した「ロクタル管の話」を高く評価するなど新進作家を発掘してきた。
執筆は4人の評論家が交代でつとめ、年2回、同人雑誌優秀作を選んで「文学界」に転載した。近年では98年に玄月氏が「舞台役者の孤独」で優秀作に選ばれて注目され、2000年に「蔭(かげ)の棲(す)みか」で芥川賞を受賞している。
かつては、作家志望者は同人誌で修練するのが本道とされた。丹羽文雄が主宰した同人誌「文学者」からは河野多恵子、瀬戸内寂聴、吉村昭の各氏らが輩出。保高徳蔵主宰の「文芸首都」からは北杜夫、佐藤愛子、なだいなだ、田辺聖子、中上健次、津島佑子の各氏らが巣立った。
60年代には、同人誌から芥川賞が相次ぎ生まれた。63年度の後藤紀一氏「少年の橋」は「山形文学」、田辺聖子氏「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」は「航路」、64年度の柴田翔氏「されど、われらが日々」は「象」、65年度の高井有一氏「北の河」は「犀」が初出だ。だが、67年に大城立裕氏が「新沖縄文学」に発表した「カクテル・パーティー」を最後に、同人誌から芥川賞は出ていない。
一方、76年に村上龍氏が「限りなく透明に近いブルー」で、79年に村上春樹氏が「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受けて人気作家となり、作家志望者の多くは文芸誌の新人賞に応募するようになった。
現在、「文学界」のリストにある同人誌の数は320。最盛期には月に200誌以上が寄せられていたが、現在は50誌ほどに減っていた。同人の高齢化も進み、亡くなった同人への追悼文が巻頭に置かれるものも少なくないという。
「文学界」の船山幹雄編集長は「同人誌の作風が固定化し、新人賞応募作と比べて活気が薄い。『同人雑誌評』は歴史的役割を終えた」と苦渋の決断を語る。
評者を28年間つとめた文芸評論家・大河内昭爾氏は「同人の方からは、『文学界』で取り上げられるのが張り合いだったので終了は残念、という手紙をもらった。かつての同人には身銭を切ってでもやる熱意があったが、若い世代にはその心意気が継承されておらず、さびしいが仕方ない」と話す。
一方で、季刊「三田文学」(発売元・慶応義塾大学出版会)が「文学界」から引き継ぐかたちで「同人雑誌評」を来年から掲載するという。月刊の商業文芸誌から季刊の大学刊行文芸誌へと舞台が移るが、「同人雑誌評」はかろうじて継続されることになった。
「三田文学」の加藤宗哉編集長は「同人誌の文化を大切にしたい。かつては鍛錬の場として実力ある作家を育てたし、昔ほどではないにせよ今も地方に良質の作品が残っていると思う」と語る。今後は、両編集部の合意により、「三田文学」が優秀作を選び、それを「文学界」が掲載することになる。(小山内伸)