2009年4月14日11時10分
モダニズム建築にモダニズム建築を載せた形の東京中央郵便局の建て替え案=日本郵政提供
大正建築が89年に生まれ変わった「日本興亜馬車道ビル」=横浜市
ギリシャ神殿風の柱が建物を貫く「M2」(91年)。隈研吾氏設計でポストモダン建築とされる=東京都世田谷区
鳩山総務相流に言えば、「剥製(はくせい)になって文化財として残る方法で再開発」される、東京中央郵便局。結局、1931年完成の古い郵便局の上に高層棟がのっかる当初案はそのままに、保存部分が少し拡大する決着となった。
こうした、歴史的な建造物の一部を残し背後や上部に高層棟を建てる方法は、89年に日本火災横浜ビル(現・日本興亜馬車道ビル)に適用されたあたりが早いケースとされる。80年代といえば、建築界にポストモダンの潮流が席巻した時期。この保存方法の背景にも、そうした時代の動きがあるといってよい。
鉄とガラスとコンクリートを主材料に、20世紀のはじめに確立された、無装飾で禁欲的、機能的なモダニズム(近代主義)建築は、産業化社会の美意識を反映したものだった。世界中で大量に建設されたが、一方で「国際様式」などという形式化や、理念や美意識の形骸(けいがい)化も進み、ただの退屈な四角い箱になってしまう例が少なくなかった。
◆歴史的な様式
その冷たさや退屈さ、エリート臭を批判したのが、ポストモダン建築。もっと大衆にアピールするような表層をまとうことが称揚された。歴史的な様式もその一つだ。日本でも、ギリシャ神殿や古代ローマの広場を引用した現代建築が登場することになった。
日本興亜のビルや東京・丸の内の銀行倶楽部といった懐かしさを醸す様式建築が、部分的ではあれ保存されるようになったのは、もちろん歴史重視の動きによるのだが、ポストモダンの流れもそこに寄与したといえるだろう。
こうした保存方法に、一部分だけを残し、あとはレプリカで再現、といったケースが多いのも、フェイクやキッチュ、パロディーといった表層の遊戯性をよしとするポストモダンの流れからすれば、当然ともいえた。
しかし、吉田鉄郎による東京中央郵便局は、日本のモダニズム建築の傑作の一つとされる。タイル張りにはなっているが、装飾性は乏しく、懐かしさを醸す様式などほとんどない。それが、日本郵政側を突き動かすような、一般市民レベルでの盛り上がりにならなかった理由でもあるのかもしれない。モダニズム建築の保存の難しさとして、常に指摘される点だ。
装飾や様式ではなく、機能性やそのための開放的な空間が持ち味のモダニズム建築。その一部だけ残すことには、「大切だって言われたから残しました」という言い訳のにおいがつきまとう。モダニズムの機能美を残すには、全体あるいは、それに近い相当部分を残すしかないのだろう。
◆失われる生命
それに、古いモダニズム建築の上に新しいモダニズムをのせる東京中央郵便局の保存案は、ポストモダン的発想からいっても奇妙に映る。ポストモダンをありがたがる必要はないが、「歴史性も重視した」とされる今回の案は、しかし、つい20年ほど前の歴史も忘れているのだ。ポストオフィスにポストモダンは似合わない、といったところか。
「剥製」は、動物の形こそ残っているが、生命という機能は失われている。だから、彼らのつくりものの目は、いつも悲しい。(大西若人)