2009年6月27日14時29分
文学に新たな女性の感覚をもちこみ、2年前に逝った作家大庭みな子さんが、夫の利雄さん(79)と交わした往復書簡が一冊にまとまった。書くことを生きるエネルギーとした妻と、その自由な創造を何より大切にした夫。953通もの書簡は、文学的同志ともいえるほど、かたく結ばれた稀有(けう)な夫婦愛と大庭文学の土壌を伝えている。
書簡集は、刊行が始まった『大庭みな子全集』(日本経済新聞出版社)の第25巻。芥川賞を受賞した「三匹の蟹(かに)」など収めた第1巻とともに、最初に刊行された。
18歳のみな子さんに会ったとき、2歳上の利雄さんは、「はきはきとものを言う女」の文才に関心をもった。書簡のやりとりが本格的になるのは、ともに大学を卒業後。
彼女にフィアンセがいることを知って衝撃を受けた利雄さんは、いつまでも友達であってほしいと望む。みな子さんはさらに別の人に恋して破れ、新潟県の実家で心をいやしていた。利雄さんは「僕は貴女が何かクリエートする事を祈って居ます」と励ます。
ふたりは、パスカル、サルトル、「中国の赤い星」「アミエルの日記」「チャタレイ夫人の恋人」、野間宏、ヘミングウェー、チェーホフなど多くの感想を書き合い、55年末には結婚に至る。
その直前にも、「炊事はサボっても勉強して下さい」「売れぬ原稿が一米(メートル)溜る毎に銀婚式の様にお祝ひしませう」(利雄さん)。「幸せになりたいと思う。努力するつもりです。自然が赦してくれる限り。そして私達の生活の創造が私の全ての創造となるように」(みな子さん)
結婚後も、住居、勤務、出産などの都合で離れて暮らすたび、さびしさや互いへの思いをつづって夫婦愛が深まっていく。59年、パルプ会社員の夫の勤務で、米国アラスカ州シトカに移住するまでが、書簡集の前半といっていい。
68年、「三匹の蟹」で登場したみな子さんは、大型新人としてもてはやされた。芥川賞受賞後、「あなたがそばに居ないから少しも書けません」「浮気なぞ全くするひまがなく、ますますむしゃくしゃします」と日本から書く。アラスカの夫は「いくら君が軌道を外れても、(略)結局は僕の軌道の中から脱け出る心配はないと思って安心して大いに言いたい事を言い、したい事をして下さい」。
一家が帰国後も、作家として活躍するみな子さんは、米国、ソ連など自由に旅し、信頼しあう夫婦のやりとりが続く。79年にパリや北欧を旅した妻は「あなたと一緒でないと全然つまらない」とこぼし、同行のクリスチャン作家高橋たか子さんが教会によく行くのを見て、「多分私にはあなたがいるので、神様が要らないのよ」。
80年に米国アイオワ大学で国際的な作家プログラムに参加したみな子さんが自分の文学が変わりそうな予感を告げたあたりで書簡は終わる。
その後、定年前に会社を辞めた夫は秘書・アシスタントとして妻を支えた。96年にみな子さんが脳梗塞(こうそく)で左半身がマヒしたあと、献身的な介護や口述筆記で執筆を助けた。
ふたりは「ほとんど同化していた」という利雄さんは、書簡を読み直し、「みな子が僕の軌道からぬけ出さなかったのではなく、僕が彼女の手のひらの中にあったのかもしれないと感じた」と語る。(由里幸子)