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画家・野見山暁治さん 追憶の風景 旧穂波村(現飯塚市)(1/2ページ)

2009年11月14日14時19分

写真:野見山暁治さん=高波淳撮影。野見山暁治さん=高波淳撮影。

 子供のころに、トンボを追ったり、フナをとったり、ということはなかったなあ。すべて人工の中。空は、石炭を燃やした煙でもうもうとしていた。そして、炭住(炭鉱住宅)が列をなしていました。

 僕が生まれたのは、福岡県嘉穂郡穂波村。今は飯塚市になっていますが、昔みたいに街と村が別々で、角突き合わせて「街の連中はすかしている」とか言っている方が面白かった。

 炭住の近くに僕の家があり、すぐ裏をトロッコが走っていて、その先がボタ山。よくあそこで遊んだ。砂漠のように何にもなくて、でも起伏があって寝転がると大地に抱かれたようなうれしさがある。見上げると、空。横を見ると、大地がそのまま続いている。同時に、怖いような、さみしいような。登るときに、崩れるのも面白かった。

 あたりは田舎でも都会でもなく、夜中でも声や足音がする。住民もあけすけで粗野で、夫婦げんかも外でやる。アトラクションの連続でした。

 おやじは「いつかは炭坑を」と思って質屋をやっていました。僕が6歳のころ、鉱区を引き受ける機会があり、渡りに船と始めたんですよ。カンテラを持って、坑内にも連れて行ってくれた。傾斜が急で天井から床から水がわいてきて、石炭層をくりぬいた部屋もある。とても面白いけど、ボッシュの絵のような不気味な暗がりに、生きて帰れるのか、と怖くなりました。

     ◇

 美術学校に行くために村を離れて初めて、僕らの土地の風景は非常に特殊だと分かったんです。よその土地にはもっと自然があるが、こっちには木をなぎ倒して大地をむき出しにし、自然をぶちこわした無残さがある。ここまでしていいのか、と思えるほど人工的。直線の地形やボタ山の三角は、セザンヌやキュービスムでした。

 それまでは、世界中こうなっていると思っていたから、中学のころに戦争では石炭が重要だと言われても、「山ほどあるのに」と。今思うと、プラモデルのまっただ中に住んでいたようなもの。トロッコや機関車がすぐ下や空中を走る。今なら、人は住まないな。

 戦後、パリにいたころ、仲間とキャンプをするため、ベルギーの山に列車で出かけたことがあります。国境付近でにおいを感じる。ふるさとのにおい。窓を開けたら、炭鉱地帯だった。そこで降りて、風景を描いた。これが本当の景色だよ、と。子供のころから、ほかの人が海や山を描くように、ボタ山を描いてきたから。警察にはスパイに間違えられたけどね。

     ◇

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