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豪快痛快、国芳の世界

2011年7月16日10時41分

写真:歌川国芳「鬼若丸の鯉退治」1845年ごろ、大判錦絵=静岡市美術館で31日まで展示拡大歌川国芳「鬼若丸の鯉退治」1845年ごろ、大判錦絵=静岡市美術館で31日まで展示

写真:歌川国芳「金魚づくし ぼんぼん」1842年ごろ、中判錦絵。新発見作品の一つ=静岡市美術館で31日まで展示拡大歌川国芳「金魚づくし ぼんぼん」1842年ごろ、中判錦絵。新発見作品の一つ=静岡市美術館で31日まで展示

写真:歌川国芳「忠臣蔵十一段目夜討之図」1830〜33年ごろ、大判錦絵=川崎・砂子の里資料館蔵、太田記念美術館で展示中拡大歌川国芳「忠臣蔵十一段目夜討之図」1830〜33年ごろ、大判錦絵=川崎・砂子の里資料館蔵、太田記念美術館で展示中

写真:「東西海陸紀行」所収の銅版画拡大「東西海陸紀行」所収の銅版画

■没後150年展、静岡・東京で

 豪快な武者絵、陰影が際立つ風景画、機知に富む戯画――。庶民文化が開花した江戸後期に独創的な浮世絵を次々と繰り出した歌川国芳(くによし)(1797〜1861)。その没後150年を記念する大規模な展示が静岡と東京で開かれている。新発見の作品や近年の研究成果など、質量ともに充実した展観となっている。

 国芳が頭角を現したのは31歳のころ。「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズの力動感みなぎる構図が人気を博した。その後も歴史・伝説上の武者が妖怪や怪獣と格闘する場面を次々に描き、武者絵の国芳は名所絵の広重、役者絵の豊国とならぶ巨匠となった。

 静岡市美術館で開催中の「没後150年 歌川国芳展」の冒頭を飾るのも武者絵。大判を3枚つなげたワイドな画面で展開される活劇には、漫画に親しんだ世代も胸を躍らせるだろう。

 武者絵で成功した国芳は、洋風表現を採り入れた風景画や風刺を込めた戯画など新たな画境を切り開いていく。その全体像に迫る同展は、前後期合わせて421点を展示。戯画「金魚づくし ぼんぼん」など新発見17点を含め、初公開作品が73点を占めるという。

 監修者で浮世絵研究家の岩切友里子さんは「国芳は絵を描くことの初源的な喜びを知っていた。それが伝わるから現代人にとっても楽しい」と話す。

 東京・原宿の太田記念美術館では「破天荒の浮世絵師 歌川国芳」展の後期が開催中。テーマ別の構成で、武者絵や役者絵を中心とした前期に対して、後期は戯画や美人画、風景画など約140点(展示替えあり)を集める。

 こちらの展示の焦点は国芳の洋風表現。風景画の陰影法など、西洋絵画の影響は従来指摘されていたが、近年の研究で国芳が典拠とした絵画資料が特定されたという。1682年にオランダで刊行された「東西海陸紀行」で、原書が会場に展示されている。

 同美術館の日野原健司主幹学芸員は「西洋画の図版などを積極的に模倣した時代だが、ここまで関係性が明らかになったのは珍しい」と語る。例えば「忠臣蔵十一段目夜討之図(ようちのず)」はジャワの領事館を描いた銅版画を模写。同一の人物像を3作品で引用した例もある。

 国芳の生家は染物屋。現代のグラフィックデザインにも通じる感覚は、そうした環境に加えて、西洋画の学習で磨かれたことを明かしている。

 「没後150年」展は8月21日まで。12月に東京に巡回。「破天荒の浮世絵師」展は7月28日まで。9月から滋賀、福島に巡回。(西岡一正)

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