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2012年3月9日10時35分
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〈思潮 あれから1年〉生活の糧、原発と同じ

写真:静寂に包まれた只見ダムに立つ開沼博さん。小雪の向こう、遠く上流側に田子倉ダムも見えた(右奥)=2月29日、福島県只見町拡大静寂に包まれた只見ダムに立つ開沼博さん。小雪の向こう、遠く上流側に田子倉ダムも見えた(右奥)=2月29日、福島県只見町

写真:コンクリートの巨大な壁、田子倉ダム(奥)を見上げる開沼博さん。頂上部分は、舞う雪にかすんでいた=2月29日、福島県只見町拡大コンクリートの巨大な壁、田子倉ダム(奥)を見上げる開沼博さん。頂上部分は、舞う雪にかすんでいた=2月29日、福島県只見町

図:  拡大  

■『「フクシマ」論』著者・開沼博さんと福島・只見川ダム群へ

 福島第一原発は、福島の人々のためではなく東京圏の電力需要のためにあった。首都圏の繁栄。それを支えてきた福島県の電源が他にもある。只見川水系のダム群だ。『「フクシマ」論』の著者で社会学者の開沼博さんと“もう一つの福島”を訪ねた。

 舞う雪が視界を奪う。カーブを抜けると、白一色の天空に黒い横線が現れた。

 田子倉ダムだ。

 幅462メートル、高さ145メートルの巨大なコンクリート壁が、地上の人間を見下ろす。「神々しさのようなものを感じますね」と開沼さんが言った。「原子炉を見たときと同じ感覚です」

 福島県只見町の田子倉ダムは、只見川に並ぶダム群の一つだ。関東と東北に電気を送る。総出力39万キロワット。水力発電所(一般)では国内第2の規模だ。運転開始は1959年で、すでに半世紀が過ぎた。福島第一原発より12年早い。

 「この町から電気が送られていることなど、東京の人はもう誰も知らない」

 役場で只見町史のまとめ役をした経験のある新国(にっくに)勇さん(54)はそう語った。

 豪雪地帯を流れる只見川は水量が多く傾斜も急で、水力発電に適していた。50年代に国策で大規模な開発が始まり、田子倉、奥只見、滝、只見といった発電用ダムの建設が続いた。

 「ダムができれば交通も整うしエネルギーも安く使えるから、町はよくなる。みんながそう思った」

 郷土史研究者の飯塚恒夫さん(77)はそう話した。

 養蚕や山菜収穫が中心で交通不便な山村だった只見が、全国に知られる町になった。工事のための人口流入で町はにぎわい、悲願だった鉄道も開通した。

 敗戦直後に9千人台だった只見町の人口は、建設期の55年には1万3千人を超えた。だが繁栄は一時的だった。その後は急激な人口減が続き、2010年には5千人を割り込んだ。

 「中央からのカネにすがる開発は持続的ではなかった」と新国さんはみる。「30年後はどうなっているでしょう」と尋ねる開沼さんに、「今のままなら町は消える」と答えた。

 只見町役場。「ダム関係で町に入る固定資産税は6億円近い。国からの地方交付税交付金に次ぐ、重要財源です」。渡部勇夫総務企画課長はそう説明した。10億円弱の町税収入のうち6割近くをダム関連の固定資産税が占める構造だ。

 昨年、3・11の地震による被害は大きくなかった。だが町は7月に、記録的な災害に見舞われていた。豪雨による洪水で多くの橋や家が破壊されたのだ。

 役場の近くに真新しい仮設住宅があった。家を失った三瓶宣子さん(67)は1人で身を寄せていた。42年前の豪雨でも自宅を流されており、2度目の被災だ。「水って、おっかないです」と細い声で言った。

 水害は、ダムをリスクとみなす町民の意識を強めていた。「ダムが放水したから洪水が悪化したのではないか」「ダムの影響で川床に砂がたまっていたせいでは」という疑念を滞在中に何度も聞いた。ダムを管理する電源開発は「運用は適正だった」としている。

 「匿名ならダム批判をするが、実名では出来ない」と話す自営業者もいた。

 「ダムに生活を支えられているから、批判できない。原発の立地地域に見られる構図と同じですね」と開沼さんは語った。

 「不安や不満があっても、ダムを『抱擁』していくしかない。その複雑さこそが地域の現実なのだと思います」(塩倉裕)

■開沼さん「福島が特別、で終わるのは不毛」

 エネルギーとは近代化である。そう感じる旅でした。人々はエネルギーのもとで、田舎が都会化していく飛躍を味わっていた。

 福島の人々が特別だった、で終わらせるのは不毛です。彼らが原発やダムに見た夢を、都会の人々も、形は違えど一緒に見ている現実がある。科学や経済成長に見る夢。それはきっと、スマートフォンを指でツルツル動かしているときの喜びと同質です。

 都会の人々は便利さや秩序を支えている電源地域の存在を無意識化し、地域の人々は電源施設に依存している現実を無意識化していく。その中で起きたのが原発事故でしょう。

 無意識化してきた現実を見ず、原発を別の電源に置き換えるだけでよしとする考え方の先には、近代というものが再び私たちを襲う未来が待つだけです。地元の人が何を思っているのか。希望は、それを知る作業の先にあります。(談)

     ◇

 かいぬま・ひろし 1984年生まれ。福島県いわき市出身。東大大学院博士課程。原発をテーマに中央と地方を考察した著書『「フクシマ」論』が昨年注目された。

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