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2012年4月4日10時35分
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本当にいたの? 聖徳太子

図:本当にいたの? 聖徳太子拡大本当にいたの? 聖徳太子

 生涯の大半が謎のベールに包まれているが、その名は誰もが知っている聖徳太子。そんな彼が実在していなかったとの説が近年、注目を集めている。どういうことなのか。

■超人的能力の聖天子

 これまでの一般的な考え方では、聖徳太子は574年、大兄皇子(おおえのみこ=のちの用明天皇)の子として生まれた。厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれて、のち、叔母にあたる推古天皇の皇太子となり、摂政として国政をつかさどった。

 四天王寺や法隆寺を建て、冠位十二階や十七条の憲法を定め、中国へ使者を送り、仏典の注釈書「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を著した。622年になくなったとされる。

 10人が我先に言った言葉を理解して的確な答えを返したという超人。お札の肖像になったりマンガ「日出処(ひいづるところ)の天子」の主人公になったりしたから、イメージが浮かぶ人もいるだろう。

 ところが、20世紀末、聖徳太子が「実は存在しなかった」という説が登場する。

■「偉業は捏造」説も

 この説は、中部大教授の大山誠一さんが著書『〈聖徳太子〉の誕生』(1999年)で、唱えた。

 大山さんは、聖徳太子のモデルと言える厩戸王という王族は実在したと述べる一方、史実は(1)用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の間に生まれた、(2)601年に斑鳩宮を造り、その近くに若草伽藍(がらん)として遺構が残る寺を建立した、という程度だと指摘。「日本書紀」に記された他の事績は後世の捏造(ねつぞう)と断じた。

 「聖徳太子の記事は、書紀の中でも記述があいまいな場合や、事実でない場合に登場する。推古紀の聖徳太子像はすべて虚構と考えざるを得ない」

 そして、これらの捏造は、「日本書紀」を編纂(へんさん)した藤原不比等が、かつての日本にも、中国の皇帝と対比し得るような儒仏道を備えた聖天子(皇太子)がいたと示すことで、当時の皇太子で不比等の孫の首皇子(おびとのみこ=のちの聖武天皇)を権威づけるために行ったことだ、とした。

■論争は続く

 大山説に対し、多くの研究者は否定的だ。明治大教授の吉村武彦さんは、厩戸皇子と死後に神話化が進んだ聖徳太子を分けるのは、むしろ学界のオーソドックスな考え方と話す。「だが、記述が完全な捏造とは考えにくいのでは」

 また、九州大名誉教授の川勝守さんは「十七条の憲法について、聖徳太子の頃に使われていなかった国司などの語があることから捏造とする意見があるが、当時の制度を後の言葉で説明したと考えれば矛盾はない」と指摘。「十七条の憲法に体現されたような仏教的徳治主義を遂行した人だったからこそ、聖徳太子と呼ばれたのだろう。聖徳太子という呼び名は、生前から使われていた可能性もある」

 一方、「連載の途中、ふっと、この人は実在したのかと疑問に思うことはありました」と振り返るのは、「日出処の天子」の作者である漫画家の山岸凉子(りょうこ)さんだ。「でも、それは梅原猛さんが『隠された十字架』で書かれたように、後に藤原氏によって徹底的に存在が抹殺されたためなのかもしれません」

 聖徳太子の実在・非実在論争は、当時の東アジア情勢の中での日本の位置づけや、「日本書紀」の成立をめぐる議論と深くかかわる。おそらく最終決着はなかなかつかないだろう。謎多き聖徳太子には、それもまたふさわしいのかもしれないが。(宮代栄一)

〈読む〉

 非実在説で一大センセーションをまきおこしたのが『〈聖徳太子〉の誕生』(吉川弘文館)。マンガ『日出処の天子〈完全版〉』(メディアファクトリー、全7巻)は現在刊行中で、23日に6、7巻が出る。

〈見る〉

 考古学などの研究成果を取り込み、その生涯をじっくり描いたのが、NHK製作のドラマ「聖徳太子」(主演・本木雅弘)。放映は2001年だが、現在、DVDで見ることができる。

〈訪ねる〉

 聖徳太子が建立したとされる中でも有名なのが、四天王寺(大阪市)と法隆寺(奈良県)。大阪府太子町には聖徳太子の墓とされる古墳がある。内部の様子は、大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)に復元されている。

■そのころ世界は

 聖徳太子が活躍した6世紀末〜7世紀前半、世界は後代へとつらなる胎動の時期を迎えていた。

 ▽610年、ムハンマドがイスラム教を起こす。630年にはメッカを征服。現在十数億人といわれるイスラム世界興隆のもとが築かれた。

 ▽ローマ帝国分裂後の西ヨーロッパでは、481年に誕生したフランク王国が領土を拡大。やがて現在のフランス、イタリア、ドイツにまたがる地域を支配した。一方、地中海の東側では、東ローマ帝国がササン朝ペルシャなどと攻防を繰り返していた。

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