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2012年6月16日10時41分
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「高山辰雄生誕100年記念特別展」「田渕俊夫展」(1/2ページ)

写真:高山辰雄「三人」(2001年、角川文化振興財団蔵)=角川文化振興財団提供拡大高山辰雄「三人」(2001年、角川文化振興財団蔵)=角川文化振興財団提供

写真:田渕俊夫「叢叢讃歌」(1985年、箱根・芦ノ湖成川美術館蔵)拡大田渕俊夫「叢叢讃歌」(1985年、箱根・芦ノ湖成川美術館蔵)

■評:「日本画とは」追った2人

 「日本画」という名称は、明治生まれ。洋画に対し、それまでの伝統的な絵画をまとめてこう呼んだ。人工的な概念ゆえの試行が続き、戦後には滅亡論も飛び出す。厚い絵肌による洋画化が進むなか、2007年に95歳で亡くなった高山辰雄は、最も深く日本画を問い続けた一人だろう。角川コレクションによる小ぶりな生誕100年展でもその持ち味が理解できる。

 例えば、「三人」(01年)。女性たちが背景に溶けるほどに線が消え、新印象主義の点描のようにも見える。しかし光学的な分析に基づく点ではないだろう。日本画らしい光沢のない筆致を重ねて、女性の姿というより、存在の気配や、それを醸す心持ちにまで迫ろうとしていると映る。高山作品に指摘される精神性や神秘性とは、こういうことかと得心する。

 一方、約30点による田渕俊夫(70)の回顧展。高山とはまた違い、優れた線描の描き手が輩出した日本美術院の画家らしく洗練された線を使い、日本画の可能性を追い求めてきた。

 「叢叢讃歌(そうそうさんか)」(1985年)は、肥痩(ひそう)のない線による抜群の写実力で雑草が描かれている。驚くのは、葉の色を表すはずの緑が精妙な輪郭から外に広がっていること。しかしこの染み出しが、まさに「叢(くさむら)」と表記したい草のボリューム、さらには気配や生命感、品位にまでつながる。田渕もまた、目だけではとらえられない神秘を描こうと挑んでいるのか。

 2001年から取り組む水墨画でも、こうした手法が生きている。輪郭線がほとんど消え、かつての色面が墨に置き換わって残ったような作品があるのだ。黒一色なのに、桜の色や森の緑が薄く載っている錯覚に陥るのは、墨の面で気配を的確にとらえている証しだろう。

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