青島氏死去 TV・政治 才能多彩に
2006年12月20日
放送作家、タレント、作詞家、俳優、司会者、直木賞作家……。青島幸男さんはその才覚を、まず草創期のテレビ界で開花させ、活動の場を政治へと広げていった。
 意地悪ばあさんを演じた青島幸男さん
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 92年9月、東京・永田町の参院議員会館前で、金丸信・前自民党副総裁(当時)に対して議員辞職を求めるハンガーストライキをする青島幸男さん
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早稲田大の卒業間際に結核にかかり、就職を断念。療養中に漫才台本を書き始め、NHKのコンクールで採用されたのを機に放送作家として活動を始めた。「おとなの漫画」(フジテレビ)や「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)などで構成やコントシナリオを手がけた。テレビに、時代を軽やかにおちょくる感覚をもたらした。
作詞家としても才能を発揮し、60年代にハナ肇とクレージーキャッツが演奏した「ドント節」「スーダラ節」「ハイそれまでよ」、坂本九が歌った「明日があるさ」など、ヒット曲を数多く生み出した。「ドント節」の歌詞では、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とうたい、「無責任時代」が社会現象化。高度経済成長時代にあくせく働くサラリーマンの猪突猛進(ちょとつもうしん)ぶりを、斜に構えて、笑いに変えてみせた。
中山千夏、八代英太両氏と出演した「お昼のワイドショー」(日本テレビ)では司会者に。また、67年からドラマ「意地悪ばあさん」(日本テレビ、フジテレビ)で、主役のコミカルなおばあさんを女装で演じ、人気を博した。66年には映画「鐘」で主演・制作・脚本・監督を担当し、カンヌ映画祭の国際批評家週間に入選した。
権威や多数派にこびず、独自のスタイルを貫き通す姿勢は政治にも表れた。68年に参院全国区で初当選すると、「『意地悪ばあさん』的精神で参議院の姿勢を正す」と宣言。その後は選挙運動への出費を抑えるため、公報や政見放送で主張を伝えるだけ。選挙期間中は自宅などにこもった。
一方で発言は過激で、時の総理が財界から多額の献金を受けていることをとらえて「男めかけ」と言ってみたり、防衛費の拡大に歯止めをかけられない閣僚に向かって「全員腰抜けだ。アホですよ」と言い放ってみたり。
95年の東京都知事選は、最有力だった各党相乗りの官僚出身候補を相手に、「国民をカヤの外に置き、政治は既存政党が行うものだという傲慢(ごうまん)な考えを捨てない限り政治不信は増大する」と舌鋒(ぜっぽう)をゆるめず、ほとんど選挙運動らしいことをしなかった。政見放送やポスターで政策を訴え大量得票した。就任早々、臨海部での博覧会中止という公約を実現し、「損得ではない。青島は約束を守れる男か、守れない男か、信義の問題だ」と語り、都民を喝采させた。
でも、威勢がよかったのはそこまで。巨大な官僚組織、オール野党の議会、山積する課題を前に、青島色はかすんだ。「官僚の言いなり」「公約違反の無責任男」と厳しい批判を浴び、一時は意欲を見せていた2期目への立候補を断念した。
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