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死去前夜、長女に「ビールでも飲もうか」 青島幸男さん

2006年12月20日

 「努力しても無理矢理にでも軽く生きなくちゃいけない」。20日死去した青島幸男さんは、遺作になった新著をそう結んだ。お茶の間をにぎわせ、東京都政も担った74年の生涯。ツッコミを入れられる側に回った議会答弁より、はまり役の「意地悪ばあさん」で人をおちょくる姿が似合う人だった。

 亡くなる前日の19日夜。青島さんは入院先の病院で長女の美幸さんと楽しく話した後、「ビールでも飲もうか」と言った。「明日買って来るね」と答えると、いつになく優しい顔でうなずき、そのまま眠りについた。翌朝、容体が急変した。

 都知事のころは「とても苦悩していた」と、美幸さんは振り返る。

 「戦う青島で来たのに『社長』になり、守るものができた。決断するときも、一人で寝ずに考えていた。背中に手を合わせるような思いでした」

 そうした内面の重圧を、都知事時代、あまり表に出さなかった。

 都政策報道室計画部長だった青山●(やすし)・明治大大学院教授(63)は、あるとき知事室にレクチャーに行ったら青島さんが自分で植木に水をやっていたのを、思い出す。

 「そんなことしていないで仕事してください」

 そういう会話が許される、「長屋のご隠居のような人」だったという。

 目玉の公約は「都市博の中止」くらい。当選後に、都庁職員たちが急いで長期計画を作った。「羽田空港国際化」「都心の活性化」。都政の大転換となる内容を入れたが、青島さんは一切異論を唱えなかったという。

 石原慎太郎都知事(74)は青島さんと同い年。68年の参院全国区で石原知事が1位、青島さんが2位で初当選した。

 「95年の都知事選で僕は青島君に一票入れたんだ。もうちょっと何か奇想天外なことをしてくれると思ったんだがなあ」

 萩本欽一さんはコント55号時代、知り合ったばかりの青島さんに自宅に招かれ、朝まで語り明かしたのが忘れられない。

 「何十億円の家を建てても、歴史に名前は残らない。教科書に残るようなことをやろうや」

 萩本さんが売れ始め、外車や高い時計を買ったころだった。「コツンとやられた気がしました」

 今月出版した自伝「ちょっとまった! 青島だア」に青島さんは書いている。「人間社会もイワシの大群と同じさ。(中略)オレはたった一匹でも、違う方向へ泳ぐイワシでありたい」

●は「にんべん」に「八」の下に「月」

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