松尾貴史
まつおたかし。1960年、神戸市生まれ。大阪芸術大学・デザイン学科を卒業後、1984年に「キッチュ」の名でデビュー。1989(平成元)年1月より「松尾貴史」に改名。テレビ、ラジオ、映画、舞台、エッセー、イラスト、折り紙に、超常現象の批判的愛好など、幅広い活動を続ける。主な著書に「接客主義」知恵の森文庫)、「オカルトでっかち」(朝日文庫)、監修に「犬も猫舌」(ワニブックス)等がある。
http://www.furutachi-project.co.jp/ (会社HP)。http://www.matsuo.tv/ (松尾貴史HP)。
桂枝雀
二代目桂枝雀(かつらしじゃく)。本名、前田達。神戸市出身。1961年、三代目桂米朝に入門し桂小米(こよね)を名乗る。1973年、二代目桂枝雀を襲名。小米時代、その論理的な思考から生まれた落語は、どちらかというと陰気であったが、枝雀襲名を機に芸風が明るく変化し、大きなアクションで語られる爆笑落語で全国に枝雀ブームを巻き起こした。「緊張と緩和」や「サゲの四分類」など独自の落語理論を構築し、英語落語という新たなジャンルも開拓した。弟子に桂南光など。1980年、1987年、上方お笑い大賞受賞。2001年度、上方演芸殿堂入り。1999年没。
ネタを繰っていた
「ネタ」とは落語の演目のこと、「繰る」とは演劇用語で、頭の中でセリフの順序を付けて繰り出すことをいう。つまり「ネタを繰る」とは、落語家が落語の稽古・練習をすることである。落語の習熟度を上げるために欠かせない作業で、ネタの繰り方(いかに自分の工夫を盛り込むかなど)、回数によってその落語家の実力が決まると言っても過言ではない。
住吉駕籠
住吉街道で商売をしている駕籠(かご)屋の2人組。しかしその内の1人は新人で不慣れなため、まともに客引きができない。やっと客が来たかと思えば冷やかしばかり。挙げ句の果てに、べろべろに酔った男に声をかけてしまい、同じ話を何べんも聞かされた上にからまれてしまう。最後には知らない間に2人の客に乗り込まれ、おまけに中で相撲まで取られて、ついには駕籠の底が抜けてしまうという駕籠屋受難の噺。酔っぱらいの部分で切る場合も多い。江戸前では「蜘蛛(くも)駕籠」。
くしゃみ講釈
あることがきっかけで、後藤一山という講釈師に恨みを抱いた男。友達から、「胡椒(こしょう)の粉を火鉢にくべるとえぐいくしゃみが出る」という話を聞く。そこで、一山が講釈をしている目の前でそれを実行して、講釈をぶち壊しにし、恨みを晴らそうとする噺。後半、講釈師がくしゃみに苦しみながら「難波戦記」を語る場面は一番の見所である。
代書屋
履歴書を書いて欲しいと代書屋に男が訪ねてくる。が、この男は、自分の現住所、職歴はおろか、生年月日や名前さえもまともに答えられない。おかげで履歴書は修正だらけになり、代書屋は困り果てるという噺。このあと、別のお客が来て話は続くのだが、ここまでで切る場合が多い。代書屋とは、行政書士・司法書士の前身であり、この噺は、実際に代書屋をやったことがある四代目桂米団治によって作られた。
吉朝
桂吉朝(かつらきっちょう)。本名、上田浩久。大阪府堺市出身。高校卒業後、1974年に三代目桂米朝に入門、桂吉朝を名乗る。師匠譲りの端正な芸風で、滑稽噺から芝居噺まで何でもこなした。日本アニメーションの元祖とされる「錦影絵」を復活させた落語を演じたり、他ジャンルの芸能と交流を深め、狂言と落語をミックスさせた「落言」の公演を行ったりと、活躍の場を広げる。2001年、上方お笑い大賞受賞。上方古典落語の本格派として期待されていたが、1999年に胃がんを患い手術。その後、復帰するも2004年に再発し、2005年11月没。
中島らも
本名、中島裕之。兵庫県尼崎市出身。コピーライター、エッセイスト、小説家、俳優などマルチに活動をこなす。私立灘中、灘高を経て、大阪芸術大学放送学科を卒業。印刷会社に勤務するも5年で退社し、1981年、広告代理店に入社する。1984年から朝日新聞で「明るい悩み相談室」を連載し、好評を博す。1986年にフリーに転向し作家活動を開始。小説、エッセ−などを数多く出版。1992年、「今夜、すべてのバーで」で第13回吉川英治文学新人賞。1994年、「ガダラの豚」で第47回日本推理作家協会賞長編賞を受賞。
露の五郎兵衛
つゆのごろべえ。上方落語の祖と称される落語家の元祖の1人。もとは日蓮宗の談義僧であった彼は、江戸時代、貞享・元禄(1684〜1704)の頃に、京都の祇園や北野などで、聴衆から代銭をもらい軽口噺(かるくちばなし)を演じたり、貴人の席に招かれて演じたりすることで、名声を得る。また「親子酒」や「道具屋」など、現在も演じられている噺を数多く作り、その著書に残した。元禄16(1703)年没。著書に「軽口露がはなし」、「露休置土産」などがある。
米沢彦八
よねざわひこはち。大坂落語の祖と称される落語家の元祖の1人。江戸時代、元禄・正徳(1688〜1716)の頃に、大阪の生玉(いくたま)社の境内で「辻噺(つじばなし)」を始め、「当世仕方物真似(とうせいしかたものまね)」の軽口噺を興行して評判となる。明るくて賑やかな上方落語の原型を作ったとされ、「彦八ばなし」は滑稽ばなしの代名詞ともなった。現在、生国魂神社の境内には「彦八の碑」が建てられ、毎年9月には「彦八まつり」が行われている。正徳4(1714)年、興行先の名古屋で急死した。著書に「軽口御前男」、「軽口大矢数」などがある。
鹿野武左衛門
しかのぶざえもん。江戸落語の祖と称される落語家の元祖の1人。京または難波生まれとされる。江戸時代、天和・貞享・元禄(1681〜1704)の頃に、街頭で人を集めて演ずる「辻噺」や、諸家に招かれて余興に演ずる「座敷噺」を始め、江戸落語の基礎を築いた。しかし元禄6(1963)年、ある浪人がデマを流すことで一儲けをたくらみ、幕府に処刑された時、その悪巧みを武左衛門の著書「鹿の巻筆」を読んで思いついたと白状したため、関係のない武左衛門まで遠島の刑に処せられてしまう。そのため以後100年の間、江戸では落語が衰退してしまうことになった。元禄12(1699)年没。著書に、「鹿野武左衛門口伝ばなし」などがある。
大銀座落語祭2006
落語の楽しさをもっと知ってもらおうと「六人の会」が主催し、2004年に始まった落語の祭典。江戸前はもちろん上方からも多数の落語家が参加して、東京・銀座にあるホール、会館など6会場で落語会が行われる。「六人の会」は春風亭小朝ら人気落語家で結成され、これまでにない落語イベントを企画する集団。メンバーは、小朝のほか、立川志の輔、笑福亭鶴瓶、林家正蔵、春風亭昇太、柳家花緑。
南光
三代目桂南光(かつらなんこう)。本名、森本良造。大阪府南河内郡千早赤阪村出身。1970年、桂小米(後に二代目桂枝雀)に入門、桂べかこを名乗る。1993年、三代目桂南光を襲名。明朗闊達(かったつ)な語り口と、優しくて暖かみのある独特の声で語られる落語は、細やかさと大胆さを合わせ持ち、爆笑ものから人情もの、そして物語をきっちりと聞かせるものまで何でも得意としている。関西では朝の帯番組「痛快! エブリディ」の司会者としてもおなじみ。1994年、上方お笑い大賞受賞。
海原小浜師匠
海原小浜(うなばらこはま)。本名、田中桃江。岡山県出身。4歳にして初舞台を踏み、芸達者な少女座長として岡山を中心に活躍した。叔母の海原お浜と漫才コンビ海原お浜・小浜を結成し人気を博す。1978年にお浜の引退でコンビは解散するが、小浜はタレントとして第一線で活躍し続ける。はるか・かなた、千里・万里、さおり・しおり、など多くの弟子を育てた。若手人気漫才師、海原やすよ ともこは小浜の孫にあたる。1967年に上方漫才大賞、1975年に上方お笑い大賞を受賞。お浜・小浜として2005年度、上方演芸殿堂入り。
地獄八景亡者戯
じごくばっけいもうじゃのたわむれ。ある男が、自分で調理した鯖(さば)を食べ眠りについた。そしてふと気づくと、そこは空々寂々とした暗い世界。そう、この男は鯖に当たって死に"地獄"に来てしまったのだ。三途の川、血の池、針の山、そして閻魔大王(えんまだいおう)……、生きているものは誰も見たことがない、恐ろしくも楽しい地獄の世界を描いた壮大な噺。上方落語屈指の大ネタで、ハメモノもふんだんに入り、全編通して語ると1時間を超える噺である。演者には相当な力量が必要であり、誰でもができる噺ではない。三代目桂米朝が、消滅しかかっていたこの噺を、現代でも通用するようにアレンジし復活させた。
談志師匠
七代目立川談志(たてかわだんし)。本名、松岡克由。東京都文京区出身。1952年、五代目柳家小さんに入門して柳家小よしと名乗る。1954年、二つ目に昇進して柳家小ゑんに。1963年、立川談志を襲名して真打ちとなる。大喜利番組「笑点」を発案し、1966年から3年あまり司会(初代)を担当。1971年から参議院議員を一期務めた。1983年に落語協会から独立し、立川流落語会を創設し家元となる。お笑い番組の審査員を数多く務め、一流の落語理論と毒舌と評される鋭い社会的発言で、独自の人気を誇る。
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