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ラクゴロク 『しゃべるノッポさんは落語流』高見のっぽ
高見のっぽ
本名、高見嘉明(たかみ・よしあき)。1934年京都府出身。1967年から1990年までの約24年間、NHK教育テレビの幼児向け工作番組「できるかな」(最初の3年は「なにしてあそぼう」)のノッポさんとして出演(その頃の芸名は高見映)。一方、放送作家として「ひらけ! ポンキッキ」などの台本も手がけた。「できるかな」放送終了後は、高見 映から「高見のっぽ」または「高見ノッポ」と名前を変え、台本から演出、出演までのステージ活動を精力的に行いながら、講演会、絵本の執筆等でも活躍している。2005年にはNHK「みんなのうた」で「グラスホッパー物語」を歌い、71歳にして歌手デビューを果たした。
チャーリー高見
高見のっぽさんの父親。「チャーリー高見」としてチャプリンのものまねで舞台に立つほか、「柳妻麗三郎」として多数のマキノ映画に出演したり、「松旭斎天秀(しょうきょくさい・てんしゅう)」として奇術を見せるなど、多方面で活躍した戦前の芸人。
あきれたぼういず
1937(昭和12)年に結成されたボーイズものバンドの代表的存在。ボーイズというのは、男性グループによる歌謡漫談のことで、ジャズ、オペラ、クラシックから浪花節、流行の歌謡曲といった音楽をコント仕立てにして笑いを取っていた。あきれたぼういずは当初、川田義雄、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英で結成されたが、その後、川田が脱退して山茶花究が入り、最終的には戦死した芝が抜けて3人のグループとなった。彼らのモダンであか抜けたセンスのコミカルな楽曲は一世を風靡(ふうび)した。2002年、坊屋三郎が92歳で亡くなり、すべてのメンバーが故人となった。
円朝
初代三遊亭円朝。本名、出淵次郎吉(いずぶち・じろきち)。1839年江戸・湯島出身。音曲師の父である橘屋円太郎のもとで、小円太として7歳の時、初舞台を踏むが、一時舞台から退く。その後、再び小円太として二代目三遊亭円生に入門。1855年円朝となり真打ちに。書き割りや鳴り物を用意して、芝居の世話狂言を模した演出で大いに人気を呼んだ。多数の自作演目を創作しているが、中でも「四谷怪談」「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」などの怪談ものが有名。円朝の噺(はなし)は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博し、これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致を促した。門下に二代目円馬、三代目円生、四代目円生、二代目円橘がいる。1900年没。
時そば
ある男が往来を流して売っていたそば屋を呼び止めて、いろいろとお世辞を言いながらそばを食べる。しかし、その男は代金を払う時にうまくごまかして、そば一杯十六文必要なところを十五文で済ましてしまった。これを見ていた別の男が、そのあまりにも鮮やかなごまかし方に感心し、自分もまねしてみようとするが……。古典落語の代表的演目で、一般的にも広く知られている。「時そば」というだけあって、江戸時代の時間の数え方がこの噺の重要な鍵となる。また、そばを食べるシーンをいかに美味しそうに演じるかが、噺家の腕の見せ所である。明治時代に、三代目柳家小さんが上方落語の演目「時うどん」を江戸噺として移植したと言われている。
「できるかな」
1970年から1990年までNHK教育テレビで放送されていた幼児向けの工作番組。高見映演じる「ノッポさん」と、着ぐるみの「ゴン太くん」が、身近にあるものを使い様々な楽しい遊び道具を作る。子供たちはこの番組を通じて、もの作りの楽しさを学び、ハサミやセロハンテープの使い方を覚えた。ノッポさんとゴン太君はしゃべることはなく(ゴン太君には「クイーカ」という楽器を用いた鳴き声が効果音として入れられた)、声優のつかせのりこによるナレーションで、工作の説明やゴン太君の心情などが語られた。
つかせのりこ
本名、原 紀子(はら・のりこ)。1946年、神奈川県出身。声優、シャンソン歌手。アニメ「おはよう!スパンク」のスパンク役や、「つるピカハゲ丸くん」のハゲ丸役、またNHKの子供向け工作番組「できるかな」のナレーションも有名。愛嬌のある明るい声で人気を博し、様々なアニメの声優として活躍していたが、1989年、直腸がんのため43歳という若さで急逝。当時まだ放送中だった「つるピカハゲ丸くん」と「できるかな」は他の声優が引き継いだ。
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