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ラクゴロク 『落語とSFの意外な関係』小松左京
小松左京
こまつさきょう。本名、小松実。1931年、大阪市西区生まれ。京都大学文学部イタリア文学卒業。経済誌「アトム」記者、漫才台本作家などを経て、「SFマガジン」(早川書房)で募集された第一回SFコンテストに「地には平和を」で応募。1961年にその作品が努力賞を受賞する。翌年「易仙逃里記」が「SFマガジン」に掲載されプロデビューを果たす。1963年にSF作家クラブに初期メンバーとして参加。以後、長短編SF小説を多数執筆する。1973年発表の「日本沈没」は、第27回日本推理作家協会賞および第五回星雲賞長編部門賞を受賞し、400万部を越えるベストセラーとなる。この「日本沈没」をはじめ、「エスパイ」「復活の日」「さよならジュピター」「首都消失」は映画化もされた。
金語楼
初代柳家金語楼(やなぎや・きんごろう)。本名、山下敬太郎。1901年東京生まれ。1907年、二代目三遊亭金馬に入門。三遊亭金登喜を名乗る。1913年、三遊亭小金馬を襲名するが、1920年に三代目柳家小さん門下に移り、柳家金三で真打となる。1921年に軍隊に入隊。その時、紫斑病に侵され頭髪が抜け落ちてしまう。その翌年には除隊して落語家として復帰。軍隊経験を落語にした「兵隊落語」で人気を得る。その後、初代柳家三語楼門下に移り、1924年、初代柳家金語楼となった。落語以外にも喜劇俳優、脚本家などとしても活躍していたが、1942年に警視庁により二足のワラジが禁止され、落語家より忙しくなった俳優で登録。以後、映画、芝居、テレビなどで大活躍し喜劇王の名をほしいままにする。1972年没。
寿限無
ある男が、自分の赤ん坊の名前を寺の住職につけてもらおうとする。とにかく「元気で長生きするような名前を」と頼まれた住職は、いろいろと縁起のいい名前の案をだすがどれもしっくりこないため、結局全部つなげた名前にしてしまう。この長い名前を付けられた子供の運命は……。落語と言えば「寿限無」というぐらい有名な話で、前座の落語家が口が回るように訓練するためのネタでもある。NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」で取り上げたられたことで、多くの子供達も知ることとなった。元から長い名前を付けようとしたという筋の場合もあり、オチも様々なものがある。
たちぎれ線香
あまりに放蕩が過ぎて、百日間蔵の中に閉じ込められた若旦那。その若旦那を慕う芸者の小糸は、突然来なくなった若旦那を思い衰弱し、遂には死んでしまう。百日目に蔵から出た若旦那は、その事実を知り愕然とする。若旦那が詫びながら仏壇に線香を上げると、不思議なことに、若旦那が小糸に送った三味線が、仏壇のそばでひとりでに鳴り始める……。小糸のかわいらしさ、自分のせいで死んだと知った若旦那の深い悲しみ。この噺には演者だけではなく、三味線を弾くお囃子さんにも高度なテクニックが要求されるので、誰にでも出来るという噺ではない。ちなみに小糸が弾く三味線は地唄の「ゆき」(関東では「黒髪」を使う人もいる)。
反魂香
毎日、夜中になると鐘を叩く八五郎の隣の部屋の僧侶。うるさくて眠ることが出来ないと八五郎は怒鳴り込む。するとその僧は、自分は島田重三という元侍で、夜中に鐘を鳴らすのは今は亡き妻、三浦屋高尾太夫への回向であると理由を説明し始めた。そして、反魂香という香を火にくすべると高尾が幽霊となって現れるという話をする。最初は嘘だと思っていた八五郎も、目の前に現れた高尾の姿に驚いて、自分も死んだ妻に会いたいと言い出し反魂香を欲しがる。しかし島田は頑として譲ってくれず、仕方なく薬屋で買うことにするが、間違って反魂丹という薬を買ってしまう……。反魂香とは、死者の霊を煙の中にあらわすといわれるお香のことで、漢の武帝が夫人に先立たれ、香をたくとその面影が現われたという故事にならったもの。上方では「高尾」。
たぬき
ある夜、熊五郎のところに小狸が訪ねてくる。理由を聞くと、昼間熊五郎に危ないところを助けられたのだという。小狸は恩返しがしたいと言うが、熊五郎は一晩泊まって恩返ししたつもりで帰れとあしらう。しかし朝起きると、なんとその小狸が人間の子供に化けていた。それを見た熊五郎は考えが変わり、この小狸をお金に化けさせて借金を返そうと考えた……。この噺は江戸前の落語であるが、東西にかかわらず落語には狐や狸が出てくる噺がいくつもある。しかしなぜか、狐は人を化かすというイメージが強いのに対して、狸の出てくるものはこの噺のようにほのぼのしたものが多い。
明烏
あまりにも堅物過ぎる息子(若旦那)が心配な父親。このままでは商売にも差し障りがあると考え、少しは遊びに出なければと息子を諭す。すると息子は、町内の遊び人である源兵衛と清八に、新町のお稲荷さんのお参りに誘われたので行ってくると言う。新町というのはいわゆる遊郭でお稲荷さんなどないが、父親は以前、源兵衛に息子を遊びに連れ出して欲しいと頼んでいたことを思い出し、息子を送り出す。新町に着いた若旦那は、しばらくするとここがお稲荷さんではなく色街だと気付き帰ろうとする。しかし源兵衛が、一人で勝手に帰ると新町の大門で恐い男に止められると嘘をついたため、若旦那は仕方なく一泊することにしたのだが……。前半の堅物の若旦那と、一夜開けた後の若旦那の変貌ぶりが面白い噺。
蛇含草
夏の暑い日。ある男が室礼の整った家に上がり込む。そこでその家に似合わない草が吊ってあるのを見つけた男は、その草が"蛇含草"という草で、うわばみが人間を食べたときの腹薬であると聞き、それを少し貰うことにした。その後、ちょっとした意地の張り合いから、餅箱一杯の餅を食べることになったその男。しかし、あと2つというところで食べきれず断念。失意のまま家に帰った時、強力な腹薬である"蛇含草"のことを思い出しそれを口に入れる。しかし"蛇含草"は腹薬というよりも人間を溶かす薬であったため、その男はすっかり溶けてしまい、そこに残っていたのは大量の餅だったという噺。江戸前では「蕎麦の羽織」。
地獄八景亡者戯
ある男が、自分で調理した鯖(さば)を食べ眠りについた。そしてふと気づくと、そこは空々寂々とした暗い世界。そう、この男は鯖に当たって死に"地獄"に来てしまったのだ。三途の川、血の池、針の山、そして閻魔大王(えんまだいおう)……、生きているものは誰も見たことがない、恐ろしくも楽しい地獄の世界を描いた壮大な噺。上方落語屈指の大ネタで、ハメモノもふんだんに入り、全編通して語ると1時間を超える噺である。演者には相当な力量が必要であり、誰でもができる噺ではない。三代目桂米朝が、消滅しかかっていたこの噺を、現代でも通用するようにアレンジし復活した。
月宮殿星の都
うなぎ料理を初めて作ろうとした男。うなぎの扱いに不慣れなためなかなかうまく掴めない。逃げようとするうなぎに任せているうちに、ついには屋根の上に上がってしまう。しかし、そのうなぎはただのうなぎではなかった。海、山、沼にそれぞれ千年、三千年の劫を経て、天上へ上がろうと機会をうかがっていたうなぎだった。そのうなぎに天上まで連れて行かれたその男は、今まで見たことのない世界を旅することになる。天上に上がる前の部分は、上方落語「うなぎや」、江戸前でいう「素人鰻」に似た部分が多い。
鷺とり
鳥を捕まえて商売しようとした男。まず雀、鶯を捕まえようとするが、ことごとく失敗する。今度は鷺が北野の円頓寺に沢山いると聞いて、それを捕まえようと夜中に円頓寺に忍び込んだ。すると鷺はすっかり眠り込んでいて捕り放題。浮かれた男は鷺を捕れるだけとって帯にくくり付けた。しかし夜が開けて目覚めた鷺は一斉に羽ばたき、その男は大空へ飛ばされてしまう。この噺の後半部分にはニワカという洒落が入る場合があり、いかに個性的で面白いニワカを作れるかが落語家の腕の見せ所である。
志ん生
五代目古今亭志ん生。本名、美濃部孝蔵。東京生まれ。1910年頃に二代目三遊亭小圓朝(橘家圓喬という説もある)に入門。1939年に五代目古今亭志ん生を襲名する。1945年、六代目三遊亭圓生と慰問興業に満州に渡るが、敗戦となり1947年に帰国。帰国後は、人気に火がつき、寄席はもちろんのこと、ラジオ出演なども数多くこなした。その自由奔放で破天荒な芸風は唯一無二のものであり、レコードなどの音源の販売実績も他の追随を許さなかった。1956年芸術祭賞受賞。息子に金原亭馬生(長男)、古今亭志ん朝(次男)がいる。1973年没。
米朝
三代目桂米朝。本名、中川清。兵庫県姫路市出身。1947年に四代目米團治に入門、三代目桂米朝を名乗る。端正な顔立ちと上品な語り口調で人気を博し、上方落語を代表する噺家となる。入門当時滅びかけていた上方落語を、六代目松鶴らとともに見事復興し、この2人に、五代目桂小文枝(後に五代目桂文枝)、三代目桂春団治を加えた4人は上方落語の四天王と呼ばれた。また、桂枝雀、桂ざこばをはじめ、多くの弟子を育て、上方落語の発展に貢献する。数多くの著書やレコード、カセットテープ、CD、DVDは、上方落語ファンを増やし、噺家の資料・見本にもなっている。数々の賞を受賞し、1996年には、上方落語初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
枝雀
二代目桂枝雀。本名、前田達。兵庫県神戸市出身。1961年、三代目桂米朝に入門し桂小米を名乗る。1973年、二代目桂枝雀を襲名。小米時代、その論理的な思考から生まれた落語は、どちらかというと陰気であったが、枝雀襲名を機に芸風が明るく変化し、大きなアクションで語られる爆笑落語で全国に枝雀ブームを巻き起こした。「緊張と緩和」や「サゲの四分類」など独自の落語理論を構築し、英語落語という新たなジャンルも開拓した。弟子に桂南光など。1980年、1987年、上方お笑い大賞受賞。2001年度、上方演芸殿堂入り。1999年没。
吉朝
桂吉朝。本名、上田浩久。大阪府堺市出身。高校卒業後、1974年に三代目桂米朝に入門、桂吉朝を名乗る。師匠譲りの端正な芸風で、滑稽話から芝居噺まで何でもこなした。日本アニメーションの元祖とされる「錦影絵」を復活させた落語を演じたり、他ジャンルの芸能と交流を深め、狂言と落語をミックスさせた「落言」の公演を行ったり、活躍の場を広げる。2001年、上方お笑い大賞受賞。上方古典落語の本格派として期待されていたが、1999年に胃がんを患い手術。その後、復帰するも2004年に再発し、2005年11月没。
南光
三代目桂南光。本名、森本良造。大阪府南河内郡千早赤阪村出身。1970年、桂小米(後に二代目桂枝雀)に入門、桂べかこを名乗る。1993年、三代目桂南光を襲名。明朗闊達な語り口と、優しくて暖かみのある独特の声で語られる落語は、細やかさと大胆さを合わせ持ち、爆笑ものから人情もの、そして物語をきっちりと聞かせるものまで何でも得意としている。関西では朝の帯番組「痛快! エブリディ」の司会者としてもおなじみ。1994年、上方お笑い大賞受賞。
東の旅、西の旅
上方落語にはいろいろな旅ネタがあり、この「東の旅」と「西の旅」はその代表作である。「東の旅」は本題を「伊勢参宮神乃賑」といい、前口上の後、「旅立ちの発端」から「奈良名所」「野辺」へと続き、ここからとある村のお社に参詣することになると、「もぎどり」「軽業」となり、食事をしようとなると、「煮売屋」から「七度狐」へと続く。この後、「お杉とお玉」で参詣をすませ、帰りの「三十石」で大詰めを迎える。一方「西の旅」は本題を「兵庫渡海鱶魅入れ」といい、これは讃岐の金比羅宮を参詣した帰りの道中を描いた話で、「播州めぐり」「明石名所」「兵庫船」と続く。旅ネタは、昔の落語家の前座が口さばきや手ほどきを学ぶネタでもあり、見台を叩きと称する張り扇と小拍子で一定のリズムで叩くことによって、落語独特の話のリズムや声の張り方を習得した。
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