- 高田文夫
たかだふみお。1948年、東京都生まれ。本名、高田文雄。日本大学芸術学部放送学科卒業後、塚田茂に師事し放送作家となる。「オレたちひょうきん族」など数多くのTVバラエティ番組、ラジオの「ビートたけしのオールナイトニッポン」などを手がけた。その他、タレント、ラジオパーソナリティーとしても活躍。また、1983年には立川談志の立川流に入門して立川藤志楼を名乗り、1988年には真打ちに昇進。落語家としても確かな腕を持つ。1999年、お笑い専門誌「笑芸人」の編集長に就任。著書に、「だから私は笑わせる」、「オレはお前に強いんだ」、「江戸前で笑いたい」など。
- 居酒屋
客はおらず、店の中には番頭と小僧さんの二人だけ。そんな居酒屋へ一人の酔っぱらいが入ってくる。その酔っぱらい、酒はおかわりするが肴はいっこうに注文しない。たまりかねて小僧が肴を勧めるが、その酔っぱらいは小僧の一言一言につっかかってからかうばかり。小僧はすっかりまいってしまう……。「居酒屋」はこの後、酔っぱらいの兄貴分が家まで連れ帰るという「ずっこけ」という噺につながるのだが、元々はどちらも「両国八景」という長い噺の一部だったと言われている。
- 孝行糖
少し頭の弱い与太郎だが、親孝行が認められ、奉行所から褒美として五貫匁をちょうだいすることに。しかし、このまま与太郎にお金を渡すと、すぐに使ってしまうに違いない。そこで町役五人組が、この金で暮らしに困らないようにと頭を絞り、与太郎に飴売りをさせることにした。その飴は、親孝行でもらった褒美を元に始めたものだから「孝行糖」と名付けられた。与太郎は派手な身なりをして、大きな声で宣伝文句を囃しながら「孝行糖」を売り歩くのだが……。この噺は明治初期に上方で作られたものを、三代目三遊亭円馬が江戸前として移植したものと言われている。
- ALWAYS三丁目の夕日
2005年公開の日本映画。小学館発行のビッグコミックオリジナルで現在も連載されている、西岸良平作の漫画『三丁目の夕日』を原作として制作された。監督:山崎貴、主演:吉岡秀隆。時は昭和33年、東京のとある下町、夕日町三丁目を舞台に、そこに暮らす人々の交流や家族の触れ合いをほのぼのとしたタッチで描いた人情ドラマ。昭和の古き良き日本を忠実に再現するため、街並や建設途中の東京タワーなど多くのシーンにVFXを使用。また、劇中に出てくる家電製品、ダイハツの三輪自動車ミゼット、商店に置かれた商品などの小道具のほとんどに、日本全国から集められた本物が用いられ、作品にいっそうのリアリティを与えている。この作品は、日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ、数々の映画賞を総なめにした。2007年に続編が公開される予定。
- 三平
三代目林家三平。本名、海老名栄三郎(のちに泰一郎に改名)。1925年、東京都台東区生まれ。1947年、父親である七代目林家正蔵のもとに入門、当初、林家甘蔵を名乗ったが、その後間もなく父の前座名三平をもらい林家三平となる。1949年に父が死亡すると、父の弟子だった四代目月の家圓鏡(のちの七代目橘家圓蔵)門下に移り、1953年に二つ目、1958年に真打ち昇進。「どうもすいません」、「よし子さ〜ん」などのギャグを織り交ぜた落語で独自の芸風を作り上げ、それまでの落語の常識を破った彼は「昭和の爆笑王」と称された。長男は九代目林家正蔵、次男は林家いっ平。1980年没。
- 末廣亭
東京都内に4軒ある落語定席のうちの一つ。東京都新宿区新宿3丁目にある寄席で、現役の寄席としては一番歴史が古い。落語がメインだが、漫才、奇術、曲芸、俗曲など様々な色物芸も行われている。元来は1897年創業だが、第二次世界大戦により建物が焼失。その後、1946年に再建された建物は、江戸以来の寄席の伝統を重んじた造りで、その雰囲気を現代にとどめている。十日毎に出演者を替えて興行しており、月の最初の十日を上席、次の十日を中席、最後の十日を下席と呼び、それぞれ昼夜の公演を行っている。
- 圓楽
五代目三遊亭圓楽。本名、吉河寛海。1933年、東京都台東区生まれ。1955年 六代目三遊亭圓生に入門して全生と名乗る。1958年二つ目昇進。1962年、五代目三遊亭圓楽を襲名して真打に昇進する。師匠譲りの芸風と、端正な顔立ちで60年代の落語ブームの牽引役を果たした。当時、七代目立川談志、三代目古今亭志ん朝、五代目春風亭柳朝と共に「四天王」と呼ばれ人気を博す。1978年、師匠の落語三遊協会設立に参画し、落語協会を脱退。翌年師匠没後には、「すみれ会」を結成。1985年、悲願であった自前の寄席を私費で設立。しかし、「若竹」と名付けられたその寄席は1989年、経営難により閉館した。テレビ番組「笑点」の四代目司会者としても有名である。
- 柳朝
五代目春風亭柳朝。本名、大野和照。1929年東京都生まれ。1950年、八代目林家正蔵(のちに彦六)に入門、林家小照を名乗る。1951年、一旦転職するも翌年再入門して正太と改名。1953年、照蔵で二つ目。1962年、五代目春風亭柳朝を襲名して真打に昇進する。古典派の勇として期待され、60年代、七代目立川談志、三代目古今亭志ん朝、五代目三遊亭圓楽らと共に「四天王」と呼ばれたほどの実力の持ち主。しかし、円熟期を迎えた1982年に脳梗塞で倒れ、高座に復帰できぬまま1991年に死去。弟子に春風亭小朝などがいる。
- 三波伸介
みなみ しんすけ。本名、澤登三郎。1930年、東京都生まれの喜劇俳優。日本大学芸術学科中退。1940年、劇団「東童」に加入し子役で初舞台。1961年に伊東四朗、戸塚睦夫と「ぐうたらトリオ」を結成。1964年に「てんぷくトリオ」に改名し舞台やテレビのバラエティ番組を中心に大活躍。三波もこの頃、「びっくりしたなぁ、もう」というギャグで一躍大人気に。しかし、1973年に戸塚が42歳という若さで死去したため、以後は残った伊東と2人で「てんぷく集団」に名前を改め活動を続けることになった。それ以外にも、NHK「お笑いオンステージ」の司会者や1970年に就任した「笑点」の三代目司会者としても有名。1982年没。
- 笑芸人
白夜書房が出版しているお笑い専門の雑誌。1999年創刊で、発行は不定期。2006年12月の時点で、VOL.17までが刊行されている。お笑い好き、落語好きで、自らも立川流落語の真打ち“立川藤志楼”である、放送作家の高田文夫が編集長。落語、漫才はもとより、テレビ、ラジオ、演劇、喜劇映画など、ありとあらゆる“笑い”にスポットを当てて特集を組んでいる。VOL.13からはCDが付録として付くようになり、内容もより充実してきている、“お笑い好き必見”の雑誌である。
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