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宮川大助さん、花月の舞台に復帰 脳出血乗り越え

2007年05月24日18時50分

 今年2月に脳出血で入院し、休養していた漫才師の宮川大助さん(56)が24日午後、吉本興業の劇場「なんばグランド花月」(NGK、大阪市中央区)で舞台復帰を果たした。19年前がんに侵され、大助さんの励ましで克服した妻の花子さん(51)が、一時は引退を本気で考えながらも、今回は夫を支えた。

写真妻の花子さんと一緒に舞台に上がった宮川大助さん(右)=24日午後、大阪・ミナミのなんばグランド花月で
写真自宅近くを散歩する宮川大助さん、花子さん=23日午前、奈良県生駒市で

 午後0時20分すぎ、「宮川大助・花子」の2人が舞台にそろって姿を見せた。「頭が大きいからCTの機械にここまでしか入らへんかった」。花子さんが大助さんの頭をつかむと客席は笑いに包まれた。いつものようなツッコミ。実は、大助さんの体温や血圧が上がっていないか、気遣ってのしぐさだった。大助さんの入院から108日、“日本一の夫婦(めおと)漫才師”が帰ってきた。

 大助さんが体の異変に気づいたのは2月5日午後7時半ごろ。「ブチッ」。頭の血管が切れる音が聞こえたという。左半身の感覚がなくなり、動かない。大阪市内の病院へ向かう途中、「お父さんは何不自由なく楽しい人生を過ごせた。何の悔いもない。ありがとう」と、花子さんと娘の紗弓さん(29)に「遺言」を残した。

 「あと数時間、到着が遅かったら手遅れでした。いずれにしても今晩がヤマです」。医師からこう宣告された花子さんは、紗弓さんに棺おけを二つ用意してほしいと頼んだ。「大助くんがおらんくなったら、私の人生何もないから。娘も成人したし、もういいやって、本気で思った」

 翌日、医師から一命を取り留めたと知らされた。しかし、もう漫才は無理だと思った。

 集中治療室でベッドの大助さんに語りかけた。「わかってるやろ。今から会社に伝える。私らの漫才、終わったな。今まで長い間、ありがとう」。すると、意外にはっきりした口調で返事があった。「とりあえず一人で頑張って」

 約1カ月で退院できたが、まだ左半身と右の背中の一部に、しびれが残る。入院前、毎朝夫婦でジョギングした約4キロの約半分を、今はリハビリをかね1時間以上かけて一緒に歩く。

 「正直、もう駄目やと思った。復帰できるのは嫁はんや周りの人のおかげ。これからは恩返しの人生です」。終演後の記者会見で、大助さんは「漫才と女房にほれ直しました」と笑顔を見せ、傍らの花子さんは涙をぬぐった。

 花子さんも病を乗り越えてきた。88年11月、胃がんの手術を受け、約5年間、入退院を繰り返す闘病生活を送った。励まし続けたのが大助さんだった。

 大助さんが倒れてから、街中で「うちの夫も倒れて……」と、同じ年頃の女性何人もに声をかけられた。花子さんは一人ひとり連絡先を聞いている。落ち着いたら自宅のパーティーに招くつもりだ。「元気になった大助を見てもらって、似たような境遇の人に希望を持ってもらいたい」

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