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落語演目の覚書発見 五代目松鶴「後生の道しるべに」

2006年06月06日

 上方落語の保存と継承に努めた五代目笑福亭松鶴(1884〜1950)が晩年に落語演目の分類などを記録した覚書が見つかった。昨年3月に亡くなった桂文枝が保存していた。現在では演じ手のない珍しい噺(はなし)や、東西の落語家の十八番などが記載され、専門家は「上方落語史をたどる上で貴重な資料」と評価している。

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五代目笑福亭松鶴

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五代目笑福亭松鶴が残した落語覚書

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五代目笑福亭松鶴が残した覚書の中身

 和紙を綴(と)じた覚書は2冊あり、表紙にはそれぞれ「きょうどげいじゅつなにわの 上方落語大入帳」(106ページ)、「上方落語過去志るべ(標)」(57ページ)と記されている。いずれも昭和23年11月の日付があり、前文に「継いでくれる人々への道しるべにと此世(このよ)にはじをかき残す」としている。実子の六代目松鶴や桂米朝、春団治、文枝らが入門した直後で、遺言のように書き残したとみられる。

 「大入帳」には落語約500編を「泥棒」「馬鹿」「色物」「芝居」など20のジャンルに分類したほか、いろは順に並べ直してサゲ(落ち)の一言を記録している。「島原八景」「影法師盗人」、新作「ラジオ長屋」など現在では演じ手のない噺などが含まれている。噺の中の言い立て(長せりふ)も20ほど書き留めている。

 「過去志るべ」には東西約400人の落語家とその十八番、お囃子(はやし)の名、主な寄席などを記している。

 文枝の死後、大阪市内の自宅で遺品を整理していた後援者が見つけた。夫人の意向で預かり、スキャナーで複写したデータを大阪のワッハ上方に寄贈した。実子の六代目松鶴ではなく、文枝が保存していた理由ははっきりしないが、六代目の放蕩(ほうとう)は当時から有名で、弟子同然にかわいがった文枝を見込んでいたためらしい。

 覚書を見た米朝によると、筆跡は五代目のものではなく、門人に清書させたものという。ワッハの古川綾子学芸員は「現在継承されていない噺の題名や、昭和10年代の重鎮松鶴から見た各落語家の十八番など、演芸史的に貴重な資料だ」と話している。

 五代目松鶴は漫才に押されて衰微していた落語復興のため、私財を投じて「上方はなし」を発刊し、落語会を各地で開くなどした。

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