現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>舞台>歌舞伎> 記事 松竹会長の永山武臣氏が死去2006年12月14日10時02分 戦後の歌舞伎発展に尽力した松竹会長の永山武臣(ながやま・たけおみ)氏が13日午前7時48分、急性白血病のため都内の病院で亡くなった。81歳。通夜は15日午後6時から、告別式は16日午前11時30分からいずれも東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は長男でフジテレビプロデューサーの耕三(こうぞう)氏。社葬は28日正午から同中央区築地3の15の1、築地本願寺第2伝道会館で行われる。 永山氏は永山武敏男爵の四男として生まれた。京大卒業後、松竹に入社。主に演劇制作畑を歩み、11代目市川団十郎、中村歌右衛門ら戦後歌舞伎の黄金期を支えた名優たちと歌舞伎史に残る舞台を制作。60年に歌舞伎米国公演、翌61年に旧ソ連公演を成功させ、歌舞伎による国際交流にも貢献した。78年に副社長昇進。84年、当時の社長が自宅への放火騒動を起こしたため退陣し、社長に就任した。 91年の会長就任後も歌舞伎の普及に目配りを続け、01年に尾上松緑、市川海老蔵、坂田藤十郎らの連続襲名を発表するなど晩年まで歌舞伎界発展に精力を傾けた。歌舞伎俳優の信頼は厚く、数多くの人気俳優の仲人も務めた。98年には役員会で当時の社長・専務だった父子の解任劇を主導した。昨年ユネスコから歌舞伎が「世界無形文化遺産」に認定され、今年8月の歌舞伎座での伝達式には元気な姿をみせていた。95年には文化功労者にも選ばれた。
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