現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>舞台>歌舞伎> 記事 3月、東京・歌舞伎座で 東西二大名跡共演2008年02月08日14時56分 こなた上方歌舞伎の祖・坂田藤十郎、こなた江戸歌舞伎の祖・市川団十郎。昨年大阪で史上初の共演を果たした東西の二大名跡が3月、東京・歌舞伎座でも顔を合わせる。現藤十郎と十二代目団十郎は「歴史的瞬間」に、「緊張」するとともに「身に余る光栄」と口をそろえた。 元禄期、上方に初代藤十郎(1647〜1709)が、江戸に初代団十郎(1660〜1704)が時を同じくして現れる。これは一つの奇跡だった。 藤十郎は、廓(くるわ)を主舞台とする男女の機微を詳描する和事を集大成。団十郎は、荒々しく勇猛な所作を特徴とする荒事を編みだした。和荒両事は以後、歌舞伎芸の主要な旋律を奏でることになる。 現藤十郎は言う。「歌舞伎は江戸、上方の両方が隆盛しないと、本当の発展にならない」 1762年刊行の解説書「歌舞妓事始(かぶきじし)」によると、初代同士は京都で対面。藤十郎が東山で一席を設け、団十郎を接遇した逸話が紹介されている。だが、松竹によると、当時の共演記録は確認されていない。 現団十郎は「初代は和事へのあこがれを持っていたのに違いない。私自身、関西の細やかな芸風は勉強になります」。「助六由縁江戸桜」などで、団十郎が、豪壮な弟五郎に優婉(ゆうえん)な兄十郎を対置させたのも、和事に抱いたあこがれのなせる業か。「二代目が初演した『助六』では後半、助六が上方和事の象徴である『紙衣(かみこ)』を着るのです」 藤十郎名は三代続いて途絶。05年に231年ぶりに復活された。厳密には四代目だが、隔世の感もあり、当人は、初代の芸を受け継ぐ意味で代数抜きの藤十郎を名乗る。襲名興行では、現団十郎が病気で休演したため初共演はおあずけに。復帰後の07年1月、ようやく大阪松竹座で実現した。 東京初共演の演目は「一谷嫩軍記」「京鹿子娘道成寺」。必ずしも上方和事と江戸荒事の正面衝突ではない。しかし、「和荒」好対照の気分は濃厚だ。 「一谷」では、団十郎が主君のために一子を犠牲にする悲劇の武将熊谷直実を、藤十郎がいまだ青葉の美剣士敦盛と熊谷の息子小次郎を演じる。 「娘道成寺」は「喜寿記念」の冠をいただき、藤十郎が目をさらう若さの女形舞踊を披露。この幕切れ近くに荒事芸の「押戻」を付ける。娘変じて怨念(おんねん)の蛇体に対し、隈取(くまど)り・高げた姿の一種の怪物が超人力で待ったをかけ、妖気の瀰漫(びまん)を蹴(け)散らすのだ。 もっとも、この2人、藤十郎の鴈治郎時代などに、共演をあまたたび重ねてきた。藤十郎は「団十郎さんは歌舞伎にとって大事な方。元気になっての新たな初顔合わせ、こんなうれしいことはない」と話す。 3月2〜26日。出演はほかに中村芝翫、中村富十郎、尾上菊五郎、片岡仁左衛門、中村福助ら。演目はほかに「廓文章」など。1万7000〜2500円。 PR情報 |