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歌舞伎俳優の澤村藤十郎、復帰に向け朗読公演

2008年03月14日15時17分

 ひとたび散り、散りしては再び咲く。これが花の定めというものだ。10年前に脳出血で右半身がまひし、舞台から遠ざかった歌舞伎俳優の澤村藤十郎(64)が5月、東京で朗読公演を行う。華やかな女形として活躍中の不運だったが、「この10年は、ありがたい充電期間」と前向きにとらえる。演目は「平家物語」。待たれる歌舞伎復帰に向けた第一歩になりそうだ。

 東京都港区の自宅。扉を開けると、陽の気がまとわりつく。「若だんな、お客様がお見えですよ」と付き人。「どうぞどうぞ」とさわやかな声が応じる。ベランダの庭にはスズメが約50羽。カメラのフラッシュに一斉に飛び立ってはまた戻る。「一羽ごとに名前をつけようと思いまして」

 倒れたのは98年8月20日だった。朝起きると右手右足が動かず、ベッドから落ちた。盛りの花を吹き飛ばす乱気流。「俳優は無理」と医師から宣告されたが、「絶対に復帰できる」という確信が身内の底からわき上がった。病院や鍼灸(しんきゅう)院など約30カ所を巡り歩いた。

 リハビリ中に、人前で踊ったことがあった。だが、所作はぎこちなく感じた。「舞台復帰は完全に動きが戻ってからですね」

 朝起きると、所蔵する60〜80年代ごろの歌舞伎ビデオ約3000本を片っ端から見る。名舞台に触れるうち、あふれ出す演出や新作のプランを書き留める。「頭の中の大掃除。能楽や落語の中にも、歌舞伎化できるものが多く、アイデアが尽きない」。週3回のリハビリのほか、1日200回の屈伸運動、1時間の正座、週1回の断食も欠かさない。

 藤十郎は紀伊国屋一門。「蘭蝶」「明烏」といった悶艶(もんえん)を帯びた新内節に通じる退廃的和事を家の芸とする。01年に兄澤村宗十郎が没し、当代澤村田之助が支えるものの、藤十郎の復帰が待望される。

 公演では「赦文(ゆるしぶみ)」を読む。俊寛らが流されている鬼界ケ島に赦免状が届く下りだ。「必死にけいこしています。元々おしゃべりなのが助けになりました」。印象深いのは「急ぎ下れとありしか共、心にまかせぬ海路なれば、浪風をしのいで行程に……」の一節。ポジティブに現実と向き合うが、我が身を顧みるかのような内容ではないか。

 自宅居間には同じ紀伊国屋の三代目澤村田之助(1845〜78)の写真が飾ってある。三代目は明治期、名優五代目尾上菊五郎らと活躍、悪婆役のえぐさで評判をとった。脱疽(だっそ)で両手足をほぼ切断し、なおも執念で舞台に出た凄絶(せいぜつ)な名女形だ。「舞台に本格的に復帰し、新作だけでなく、三代目が当たり役にした演目に現代の感覚を注入して取り組みたい」

 朗読公演「『平家物語』の夕べ」は5月29日、東京・紀尾井ホールで。

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