現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>舞台>歌舞伎> 記事 「散ってこそヒーロー」 黙阿弥の作品を5月団菊祭で2008年04月18日15時23分 ヒーローは死なねばならぬ。日本の美学に通底するこの命題を、歌舞伎作者河竹黙阿弥も踏襲した。5月2日から東京・歌舞伎座で始まる「団菊祭五月大歌舞伎」は、「極付 幡随長兵衛」「通し狂言 青砥稿花紅彩画(白浪五人男)」という黙阿弥作品をそろえる。幡随院長兵衛も弁天小僧も、死の宿命にからめとられるのだ。 「幡随」の長兵衛は1881年に九代目市川団十郎が、「白浪五人男」の弁天小僧は1862年に後の五代目尾上菊五郎がそれぞれ初演した。これらゆかりの作品に当代の団十郎、菊五郎が臨む。 「幡随」は町奴(まちやっこ)と旗本奴の意地が衝突する世話物。芝居見物を巡る争いで、遺恨を持った旗本奴水野(菊五郎)が、町奴の長兵衛(団十郎)を自宅に招く。水野邸湯殿での長兵衛の死は壮絶だ。 「肚芸(はらげい)が要求されますね。義太夫に乗り、心だけを動かして覚悟や詠嘆を表現しないといけない」と団十郎。「江戸を守るのは町奴だという気概。『助六』にも通じる」。最後も、姿勢を崩さずに果てる。「息を吸う動作を続けるので、肩が怒る形になる」 「白浪五人男」は、浜松屋のゆすり場など無法者が活躍する世話物。勧善懲悪の世界だが、筋以上に「知らざあ、言って聞かせやしょう」の名ぜりふや、五人男が並ぶ秀逸な絵面などが傑出している。 「歌舞伎のエッセンスが詰まっている。弁天小僧は体に入っている役で、青年の悪が出せたら」と菊五郎。「70歳でも弁天小僧を演じたい。数年後、菊五郎をせがれ(菊之助)に譲って、菊之助に戻ろうかな」 意地も、悪も、江戸の美学につながる。しかも、両作のヒーローは潔く散る。明治の新時代に批判的な目を向け、「黙阿弥」を名乗ったこの作者は、江戸に殉じる意思を登場人物に仮託したのか。 2人は、黙阿弥を、化政期に退廃味濃い作品を送り出した鶴屋南北と比べて語る。 団十郎は「社会システムを万全にしようとすると、個人の悲劇が起きる。黙阿弥作品には、その経緯が批判として書いてある。南北ならヒーローは散らず、悪の華が毒々しく咲くでしょう。長兵衛には命の代償に仲間を助けるという侍の美学がある」。 対する菊五郎の見方はこうだ。「黙阿弥の社会批判は、さほど強烈ではないと思う。南北の方があるね。黙阿弥は因果応報のてんまつを描く。ヒーローが死んでしまうのもいいところではないか」 ほかに、市川海老蔵が「義経千本桜」の「碇知盛」に初役で挑む。26日まで。中村富十郎、坂田藤十郎、尾上松緑ら。1万7千〜2500円。(米原範彦) PR情報この記事の関連情報文化・芸能
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