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木下順二さん、端正・硬骨の演劇人

2006年11月30日

 背筋の伸びた、すらっとした姿。木下順二さんは、そんな風貌(ふうぼう)どおりの端正、硬骨の演劇人だった。戦争責任や沖縄などを主題にした劇作や評論で、日本の戦後を問い続けた。

 戯曲「沖縄」は、本土復帰を人間回復の視点で描いたもの。その後も江戸時代以来、沖縄が受けた差別の歴史を踏まえた言論を展開した。

 70年代の「審判」「夏・南方のローマンス」では日本人の戦争責任を見つめた。責任の追及をあいまいにしたのが、とりかえしのつかない過ちだと著作などで指摘。「痛恨度」という言葉を造り、「敗戦、占領、“与えられた民主主義”に始まる様々な時点や事件に対し、自分たちがとった態度の検証が必要。その痛恨度がその人の現在の立場を説明し、未来への姿勢を予測させる」などと語った。

 姿勢はその後も一貫し、今年4月の「審判」再演には「過去というものが、きれいさっぱりと清算できるものでない以上、清算への努力は怠りたくない」との文章を寄せた。

 そんな木下さんが私生活で大切にしたのは、馬にまつわる数々だった。東京都内の自宅応接間には、1枚の写真パネルが飾られていた。乗馬中の木下さんを写したものだ。さっそうとした姿だが、本人の自慢は、美しい弧を描いて流れる「馬のしっぽ」だった。

 「馬の前進するエネルギーとそれを抑える力のバランスが完全にとれた時しか、こういう流れ方はしないのです」

 馬術を始めたのは旧制高校時代。84年に「ぜんぶ馬の話」というエッセーも出した。古今東西の馬の本も集め、動物学などの学術書から芸術や文学まで、計3000冊にも。すべて、00年に馬事文化財団に寄贈した。

 ここ十数年、木下さんの暮らしは、自身が「共同生活者」と呼んだ、進藤とみ子さんが支えた。「生涯の締めくくりとなる少なくない残務整理」(木下さん)を担い、04年に本紙文化面に寄せた文章で木下さんは、彼女の献身がなかったら、自分は10年は早く消えていたはずだ、と感謝した。

 晩年は耳鳴りに悩まされ、あまり外出しなかったが、「審判」再演には変わらず背筋の伸びた元気な姿を見せていた。

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