〈評〉NODA・MAP「ロープ」 主題は暴力、現代への豪速球
2006年12月27日
野田秀樹は国内3年ぶりの新作「ロープ」(作・演出・出演)で「暴力」を主題にした。
野田にしては性急過ぎる気がするほど、メッセージをまっすぐ投げ込む。その直截(ちょくせつ)さは、現代の世界に向けた野田の、やむにやまれぬ意見表明に感じられた。思いのこもった豪速球だ。受け止めると、痛い。
レスラーのノブナガ(藤原竜也)は、プロレスに筋書きがあることに衝撃を受けて引きこもり、同僚(橋本じゅん)らを困らせている。リング下から戦いの実況が上手なタマシイ(宮沢りえ)が現れる。彼女は「滅んだ未来」から来たという。
試合の日、突然現れたノブナガは「筋書きのない」攻撃で悪役レスラー(宇梶剛士)を半殺しにし、それがテレビ中継される。暴力の生放送。現場のクルーに次が見たいと指示が届く。「半殺し以上って?」。当惑するディレクター(野田)の尻を妻(渡辺えり子)が猛然とたたく。「ひと殺しよ」
リング内では何が起きてもいい。悪役レスラーの大けがは暴言の報い、ノブナガの「力」は正義だ。その論理はエスカレート。うなぎ登りの視聴率にもあおられ、リングではついに戦争が始まる。
力の行使を正当化する都合の良い理屈。殺される恐怖が生む攻撃性。より強い刺激を求める大衆の貪婪(どんらん)さ。メディアの無定見。他人の痛みへの鈍感。暴き出された様々な「暴力」は渦巻き、舞台は悲痛な終盤へなだれ込む。行き着く先はベトナムの戦場だ。タマシイは言う。「力とは、人間を死体に変えることのできる能力」「人はいつも、取り返しのつかない『力』を使った後で『無力』という力に気づく」。30年後の私たちはそれに気づいているだろうか――。
膨大な言葉を確かに観客に届ける宮沢のりんとした演技が作品の背骨となる。藤原は、大きく揺れながらも最後に希望を担うにふさわしい「青年の純情」を強く印象づけた。まとまった人数でとらえがちな戦争犠牲者一人一人に思いをいたした舞台美術(堀尾幸男)に胸を突かれた。(編集委員・山口宏子)
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1月31日まで、東京・渋谷のシアターコクーン。
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