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宝塚流に民俗芸能を研究 舞台化に向け記録

2007年01月27日

 宝塚歌劇と民俗芸能――。一見、縁遠そうな二つが半世紀前に結びつき、「民俗舞踊シリーズ」などとして上演されていたことを知っていますか? 舞台化のため歌劇団スタッフが各地の踊りや民謡を記録。その膨大な資料の一部がDVD約670枚に収められ、一般公開に向け準備が進んでいる。宝塚が果たしてきた意外な文化的役割にいま、光が当てられようとしている。

◇DVD670枚分資料、公開へ

 記録にあたったのは、58年に歌劇団内にできた「郷土芸能研究会」。演出・振り付けの渡辺武雄・歌劇団名誉理事(92)が中心となった。

 各地の教育委員会から得た調査票を基に、4、5人のスタッフが8ミリカメラや録音機、バッテリーや照明機材を背負って現地に赴き、実演してもらった踊りや民謡を、写真や8ミリフィルムに収めた。活動は20年間続き、調査先はほぼすべての都道府県に及んだ。

 沖縄や富山に同行した元雪組組長の中澤智子(芸名・睦千賀)さん(81)は「土のにおいのする踊りを見せていただき、歌劇になりそうなものを選んで頭と体で覚えた」と振り返る。

 そもそも同シリーズは、海外公演で「売り」になる和風レビューを作るために始まった。少人数の踊りは宝塚大劇場向けに群舞とし、単純な曲調もレビュー調にアレンジして変化を持たせた。土着的な舞踊をショービジネス向けに洗練していく作業だった。

 2作目の「花田植」(59年)が、米国公演を前に来日した興行師に「国際的な価値がある」と評価を受け、シリーズは軌道に乗る。鹿児島や熊本に伝わる「棒踊」をベースにした4作目の「火の島」(61年)は芸術祭賞を受賞。渡辺名誉理事は「模倣にとどまらず、新しい舞台芸術を生み出そうとした点が認められ、お墨付きをもらった思いだった」と振り返る。

 だが20年間で22本を上演した同シリーズは、78年の「祭りファンタジー」を最後に姿を消す。当時は「ベルサイユのばら」(74年初演)の大ヒットで火がついた宝塚の黄金時代。動員力が重視され、非日常のファンタジーを提供する演目が中心に据えられた。その後、時代劇や日本舞踊など和モノの演目自体が減っていく。06年は年間8回の大劇場公演のうち、和モノは1公演にとどまった。

 渡辺裕・東京大教授(音楽学)は「宝塚の民俗シリーズは、50年代の全国的な民謡ブームと軌を一にする動きだった」と指摘する。「俚謡(りよう)」と呼ばれ、文化的に一段低く見られた各地の音曲が国民的な文化としての「民謡」に洗練され、レコードや民謡番組がヒットした。「各地の民俗芸能を巡り、保存するよりも、泥臭さを洗い落としていくことにコンセンサスがあった時代」という。

 70年の「日本万国博覧会」では「日本の祭り」などのイベントで各地の民俗芸能や祭礼が演じられた。旧国鉄も同年、「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンを始めた。このころから、各地の民俗芸能は観光資源として自ら洗練した姿に形を変えていく。宝塚があえて手を出す必要もなくなり、宝塚に求められる姿も形を変えた時期だったといえる。

 結局、変異したり消滅したりした民俗芸能の元の姿が、宝塚に膨大な資料として残された。8ミリフィルム2856巻、スライド約1万4000点、録音テープ5073点、ネガ約8万6000点。DVD化した記録は、原資料を保管してきた池田文庫(大阪府池田市)で一般公開される予定だ。

 一方、近年のドイツや中国での公演では、かつての宝塚流の民俗舞踊が上演され、復活の機運もある。今夏には、民俗舞踊や伝統芸能に光を当てたショーが約30年ぶりに月組で上演される予定だ。

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