現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>舞台>演劇> 記事

逍遥がワーグナーに対抗し創作「新曲浦島」 初上演

2007年06月18日15時17分

 明治期の演劇改良運動に尽力した坪内逍遥(1859〜1935)が1904年に創作した長大な音楽舞踊劇「新曲浦島」が今秋、東京で初めて全幕上演される。19世紀末の欧州で一大潮流になったワーグナーの楽劇に対抗し、日本独自の「新楽劇」を樹立しようとした3幕12景、4時間超の怪物作。過去に長唄舞踊や一部上演などはあったが、今回は全幕、ただし約2時間に圧縮する「力業」の舞台になる。

 東京芸術大学創立120周年の企画。9月13日に東京・上野の東京芸大奏楽堂で上演する。歌舞伎の坂東三津五郎をはじめ、日本舞踊家、能楽師らが出演。能の謡、長唄、箏曲、常磐津節などの邦楽に加え、洋楽も入る。

 瀧井敬子・東京芸大演奏芸術センター客員教授、自ら出演する能楽師観世流シテの野村四郎、演出家の笠井賢一が上演台本をまとめた。四郎と笠井が演出。使う楽曲も新たに作曲する。

 瀧井氏は「日本の独創性を軸に西洋とどう合流するか腐心した、現代に通じる先駆的作品。逍遥の再評価にもつながれば」と話す。

 作られた時代は「江戸と明治」「東洋と西洋」の相克期。絵画でも南画から出発した山本芳翠(1850〜1906)が洋画「浦島図」を手がけるなど、東西融合が模索されていた。

 逍遥も「新楽劇論」を書き、実践として「新曲浦島」をものした。序・中・詰の3幕構成。ワーグナーが伝説を扱ったのにならい、浦島説話を採用した。大正期に六代目尾上菊五郎らが「中之幕」を上演。序幕冒頭の長唄曲は後に独立し、三味線に江戸長唄の発想と異なるフレーズも使われ、今なお人気曲だ。

 しかし逍遥自身が序文に「本曲は今の劇場又は楽壇に上さんが為に作したるものに非ず」と書いたように、実験的な理念作でもあった。

 晩年の逍遥は失意の中にあったとされる。先導した文芸協会が解散。弟子の島村抱月と松井須磨子の死も続いた。笠井は「逍遥は『浦島は私』と語ったそうです。上演がままならなかった『新曲浦島』。さらに、時代とのズレに失望し、自分と浦島説話をだぶらせていたかもしれない」と考える。

 四郎は「逍遥は日本の芸術の将来像を前に、危機感と孤独感を抱いたのではないか。そこに共感して私たちは、東西の融合という現在進行形の課題に挑戦します」と話す。

 午後6時半開演。出演はほかに花柳源九郎、花柳寿美ら。3000円。芸大演奏芸術センター(050・5525・2300)。

PR情報

このページのトップに戻る