現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>舞台>演劇> 記事 地人会、活動に幕 「演劇の自立」探った四半世紀2007年10月03日10時53分 劇団という形をとらない演劇集団の先駆けの一つで、芸術性と経済性を両立させるという理想を掲げて活動してきた演劇制作体「地人会」が、今月末で活動に終止符を打つ。代表である演出家の木村光一さん(76)を中心に、水上勉さん、井上ひさしさんらの名作を数多く上演し、幅広いレパートリーと上質な舞台で全国的に支持されてきた。その四半世紀の歩みからは、演劇の自立に取り組んだ軌跡が見えてくる。
●プロデュース公演の先駆けに 活動をやめる直接の理由は木村さんの体調だ。本人は「ヘルニアによる腰痛が手術しても治らない。台本作りや、けいこ場での綿密な人物造形などが難しく、このまま舞台を作っていてはいけないと思った」と語る。 文学座のスター演出家だったが、劇団の体制を批判して退団し、翌81年「地人会」を設立。作品ごとに俳優、スタッフを集めるスタイルで制作を始め、新劇系ではこの方式の先駆けの一つだった。 木村さんは「成熟した大人と向き合う演劇を作り、経済体としても成立させようとした」と振り返る。 作品は当初から高い評価を得た。水上勉作「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」、井上ひさし作「化粧―二幕」、宮本研作「ブルーストッキングの女たち」など作家の代表作ともなる戯曲を次々手掛け、外国戯曲も数多く上演。脚本家、山田太一さんも戯曲執筆に誘い、いくつもの舞台を生んだ。 近年では一般的になった、多彩な顔ぶれによるプロデュース公演の先駆となる例も作った。初期から、新劇系の俳優だけでなく、テレビや映画、宝塚歌劇などの出身者を大勢起用した。 同様に舞台制作をしている俳優座劇場の高木年治支配人は「新劇系の芝居には演技の質が合わないだろうと思う俳優がいても、木村さんの優れた演出で、舞台は見事にバランスがとれていた。こうしたやり方で新劇の枠を広げることができると示され、目を開かされた」と言う。 もう一つの柱「経済体」としての理想も高かった。 木村さんは言う。「役者や劇作家は食えなくていいという新劇の風潮に抗して、きちんと報酬を支払い、僕らも食べていく姿勢を保ってきた。発足時から劇作家には書き下ろしに150万円、再演は1ステージ3万円を支払った」。新劇系では異例の高額だ。 5作を書き下ろした劇作家の斎藤憐さんは「貧しい劇作家と一緒に闘うという思いが強いのだろう」と感じている。 経済的な基盤は活発な地方公演だった。東京で初演した作品を各地の演劇鑑賞団体の主催で長期上演することで、安定収入を得る新劇団の“市場”に参入。80年代には年間500回を超えた。 だが近年、その基盤に陰りがでてきた。全国演劇鑑賞団体連絡会議によると、会員数は現在約21万人。ここ10年で7万人減で、高齢化も進む。 地人会の昨年の地方公演は172回だった。木村さんは「観客の趣味が変わり、娯楽性や知名度の高い俳優を求める人も増えた。僕もある部分は妥協し、理想とする芝居と経済とのバランスを計りながらやってきたが、経済体としては近年、結果を出しにくい状況だった」と振り返る。 地人会最後の舞台は、23日の「喝采」(C・オデッツ作)、滋賀県彦根市での鑑賞団体の公演だ。 木村さんは引退するわけではないが「体調が戻らないと演出は難しい」と言う。 ●朗読劇「この子たちの夏」公演は767回 地人会が残した大きな業績の一つに、朗読劇「この子たちの夏」がある。 広島、長崎で被爆した母子の詩や手記を女優たちが朗読する。構成・演出して85年から続けたこの舞台を、木村さんは「毎夏静かに続けてきたのが誇り。『この子――』をやっている団体がこんなことをやっていいのかと自分たちを律する背骨のようなもの」と位置づけていた。 地人会公演が767回。並行して全国各地のアマチュア団体が「自主上演」し、それが今年5月までの17年間で3117回にものぼる。2日に1度上演された計算だ。上演料は受け取らず、30組用意している上演用スライドと音楽ソフトの貸し出しなどのために、専任の職員を置いている完全な「持ち出し」事業。一方で地人会公演で収益が出た年は、広島、長崎、韓国の被爆者団体に寄付をした。 この作品の今後が木村さんの大きな気がかりだ。「続けたいが、どこかに引き継げば済むという公演でもない」と、まだ結論は出ていない。 PR情報 |