【編集委員・中村俊介】「福岡」の地名が初めて登場するのは黒田如水(官兵衛)による慶長7(1602)年の連歌であることがわかった。収蔵する福岡市博物館(福岡市早良区)が9日から公開する。筑前52万石を治めた藩主黒田家が先祖を顕彰するため、ゆかりの岡山の地名にちなんでつけた。城下町福岡の町づくりの一端を知る手がかりとなる。
地名が確認されたのは、千利休ら当代一流の文化人と交わり、茶や和歌・連歌をたしなんだ藩祖、如水の「如水公夢想連歌」の一節。「松むめ(梅)や末ながかれとみどりたつ、山よりつづくさとはふく岡」(松や梅がいつまでも緑であるように、山から続く福岡もそうであれ)という黒田家の繁栄を願う内容で、慶長7年正月16日付。如水が妻や息子長政ら近親者とともに、新たな領地で連歌会を催したときのものだという。
黒田家は関ケ原の戦い(1600年)後、現在の福岡市に入り、翌年、福岡城の築城を開始する。当時ここは「福崎」と呼ばれていたが、一族のルーツである備前の福岡(岡山県)にちなんで呼び変えたと言われる。今回の史料で築城が始まるのと同じ頃、地名も変わったことがわかる。