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2012年10月1日10時58分

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T―BOLAN13年ぶり復活 ボーカル森友、病を克服

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【動画】13年ぶり再結成「T−BOLAN」単独インタビュー=竹谷俊之撮影

写真:13年ぶりに再結成したロックバンド「T−BOLAN」。左から上野博文、青木和義、森友嵐士、五味孝氏=東京都港区、竹谷俊之撮影拡大13年ぶりに再結成したロックバンド「T−BOLAN」。左から上野博文、青木和義、森友嵐士、五味孝氏=東京都港区、竹谷俊之撮影

写真:もう一度、ステージに立ちたいという4人の思いが重なって再結成を果たした「T−BOLAN」=東京都港区、竹谷俊之撮影拡大もう一度、ステージに立ちたいという4人の思いが重なって再結成を果たした「T−BOLAN」=東京都港区、竹谷俊之撮影

写真:「ツアーでは4人の中にいる自分を感じたい」と語るボーカルの森友嵐士=東京都港区、竹谷俊之撮影拡大「ツアーでは4人の中にいる自分を感じたい」と語るボーカルの森友嵐士=東京都港区、竹谷俊之撮影

写真:リハーサルスタジオで練習する「T−BOLAN」=東京都港区、竹谷俊之撮影拡大リハーサルスタジオで練習する「T−BOLAN」=東京都港区、竹谷俊之撮影

 1999年に解散した人気ロックバンド「T―BOLAN」が、13年ぶりに再結成した。10年以上の闘病を乗り越えて復活したボーカルの森友嵐士とメンバーたちは、今月から始まる合同ライブツアーでステージに立つ。再結成を決めた4人に聞いた。

 ――13年ぶりに音を合わせてみて、いかがでした?

 上野博文(ベース) 懐かしい気持ちと楽しみな気持ちが入り交じって、すごく新鮮な感じがします。

 青木和義(ドラムス) 再結成は不可能だと思っていた。4人集まれるのは人生の大転機。これが本当の自分の姿なんだと確認できた。

 五味孝氏(ギター) すごく時間が空いていたので、音を出すまでは不安もあった。でも、何も変わっていなかった。人前でやるのが楽しみです。

 森友嵐士(ボーカル) 楽器を持って集まった時に改めて感じたのは「4人であることの意味」。音を出して数時間で、95年3月が最後だったツアーの音触りが変わっていないことを確認できた。次はステージで、この4人で音を出した時に、どんなふうに感動するのか楽しみで、その感動をファンと共有できて泣きそうになる自分に会いたいですよ。

 五味 泣かないの?

 森友 泣かない!

 五味 青木、泣いちゃうよ。

 青木 泣かないよ。

 森友 (五味に向かって)お前だろう(笑)

 五味 あー、俺? いやいや(笑)

 ――解散に至った森友さんの声の病気と、そのころの心境を聞かせて下さい。

 森友 最後のツアーでマイクを置いた時のことは今でも覚えています。ツアーのリハーサルから調子が悪く、後で休暇をとれば良くなると思っていました。そのままツアーを続けたので、体中に力が入り、声帯に負担をかけたことで最終日には声帯を損傷してしまったんです。それから、1年以上かけて病院を探しましたが、やっと見つけた医者に「心因性発声障害」と言われました。「明確な治療法がなく、明日治るかもしれないし、10年後も治っていないかもしれない」と。

 T―BOLANを結成して10年ぐらいでした。これまでと同じ時間が経っても声が戻らないかもしれないことが信じられず、歌えない自分を誰にも見られたくなかった。時間が止まったような感じでした。

 

――病気の原因は?

 森友 一言でいえばストレス。当時、常にリアルタイムで作った曲を次々にリリースしていました。作り置きの曲なんて一曲もなくて、「こだわり」というキーワードの中で自分で自由度を狭め、もがいていた。体重も60キロから50キロまで落ち、今思えば、声が出なかったのは「もっと楽に生きろ。ありのままでいい」というメッセージだったんじゃないですか。

 ――一番ひどかった時は?

 森友 しゃべれなかった。「あ」が言えなかったよ。「あ」をどうやって言うなんて考えたことがないでしょ? 息吸って、声帯を締めて、「あ」の口を開いて…。電話が鳴るのも嫌だったし、人に会いたくなかったので、カーテンも開けなかった。

 ――しばらく都会を離れてましたよね?

 森友 富士山麓(さんろく)にあったスタジオにこもり、自分と向き合う中、新しい道筋や価値観に少しずつ触れるようになり、締め付けていたものを緩めていった感じです。

 ――五味さんが復活に大きく関わったとか。

 五味 8年前、押さえていたスタジオが空いたので「ちょっと遊んでみない」と森友に声を掛けたことがきっかけで練習が始まりました。月2回が週1回になり、週1回が週2回になり、多い時は週3回やりました。練習というより、リハビリでした。最初はね。

 ――T―BOLANの曲はやりましたか?

 森友 やろうという気にはならなかった。新しい形でスタートしたかったし、過去に自分が歌った歌はすごく邪魔だった。なぜかというと比べちゃうでしょ。そこで、一歩ずつ上がっていきたいと選んだ曲が(故・坂本九さんの)「上を向いて歩こう」でした。最初はひどい「上を向いて歩こう」だったけど、1年ぐらい練習を重ね「自分の歌をまた誰かに聞いてもらいたい」と思えました。もう一回、ステージに立ちたいって。

 ――ソロでの復帰は?

 森友 五味のサポートの中でソロでの再スタートの準備が進められました。08年ごろから、復活のステージを見据えて、いろいろな仲間とも再会した。リハビリも兼ねて、50本ぐらいサプライズライブもやりました。青木にも聞かせたいと思って連絡したら、ライブハウスと客まで用意して、司会までやってくれて(全員笑)。ピアノを弾きながら歌う俺のそばに、涙目の青木がいました。

 ――再結成のきっかけは?

 森友 震災を経験したことです。人生って1回しかないし、いつまでもない。T―BOLANは、メンバー4人の音楽の可能性を広めるために始めたけれども、俺が歌えなくなって止まるのは意味がないから、バラけることで音楽活動ができるヤツはやろうよっていう解散だった。やることがなくなったとか、やりつくしたっていう終わり方じゃなかった。

 十数年経って俺の声が戻った。だけど、それを全く消しゴムで消して、あそこに戻るにはあまりに長い時間が経っていた。その中で、復活はソロという形が一番始めやすかった。そうやって始めたけれど、ボランティアで訪れた被災地や、ソロツアーで回った先でファンと身近に接することも多く、T―BOLAN再結成を望む声が聞こえてきた。その中で自分自身もう一回、考えるきっかけになりましたよね。自分の中で決着はついているのか、メンバーはどう思っているのか、それぞれの思いを確かめるべきだと思いました。できるかできないかはどうでもいい。やりたいのか、やりたくないのか、って。

 理由は言わず、「3日時間をちょうだい」と連絡しました。山中湖のスタジオに楽器を持ち込み、一緒に3日間過ごして答えを見つけようと。これで終わるのなら終わればいいし、始めたいなら始めればいい。隠しごとなしで思うこと全部吐き出せよって。結果、思いが重なって、4人の音を再びステージで出そうと決めました。10月4日のツアー初日は、1995年3月26日の最終ライブ(大阪厚生年金会館)の続きが始まる思いです。

 ――ライブに向けての抱負を。

 上野 悔いのないよう思いっきり楽しみたい。

 青木 思う存分やりつつ、やるしかないという思いで突き進みたい。

 五味 楽しんでやりたいです。

 森友 同じです。楽しみたい。4人の中にいる自分をすごく実感したい。違うんですよ、1人とは。T―BOLANを感じたいし、お客さんにもT―BOLANを見てほしい。

 ――新曲の予定は?

 森友 まずはステージに上がるところに全力を注ぎたい。復活するから歌詞を書かなくてはと思っていないけど、余裕ができたら、あるかもしれません。まあ、そうなったらいいですね。(聞き手・神庭亮介、文・竹谷俊之)

     ◇

 T―BOLANは、4日から始まる合同ライブツアー「ビーイング・レジェンド」に参加。「FIELD OF VIEW」、「DEEN」ら、ともに90年代をリードしたバンドたちと全国17カ所をまわる。

     ◇

 〈T―BOLAN〉ボーカルの森友嵐士、ギターの五味孝氏、ベースの上野博文、ドラムスの青木和義の4人組ロックバンド。1991年7月、「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー。「離したくはない」「Bye For Now」などのヒット曲を出した。95年3月、活動休止状態に。森友の声の不調は回復の兆しが見えず、99年12月に解散した。90年代のシングル・アルバム総売り上げ枚数は約1700万枚。

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