【大脇和明】大阪市中央区にある前期難波宮(なにわのみや)跡(7世紀後半)の西南部で、塀や倉庫らしい建物跡が見つかったと22日、市教委と大阪文化財研究所が発表した。これまで宮殿の端とされた遺構より約100メートル外側で、専門家は前期難波宮の構造に再考を迫る発見とみている。
同研究所が国立病院機構大阪医療センターの敷地、約1900平方メートルを発掘。西端の調査区で7〜8世紀の建物跡4棟と東西、南北に延びる塀の跡が見つかった。東西塀は長さ41メートルで、門らしい遺構もあった。
難波宮は大化の改新(645年)を機に飛鳥から遷都した前期と、聖武天皇が726年から造営を始めた後期の建物がある。今回見つかった遺構は塀で仕切った中に規則的に建物を配置した点が前期難波宮の建物群に似ており、同時期のものと推定した。
前期難波宮では大阪歴史博物館の敷地で見つかった塀の跡が宮殿の西端とされていたが、今回の建物跡の位置はさらに約100メートル西。同研究所は前期の宮域が外側に広がる可能性があるとみている。栄原永遠男(さかえはらとわお)・大阪市立大名誉教授(日本古代史)は「見つかった建物跡が公的な施設だったことは間違いない。前期難波宮の構造の解明にとって重要な発見だ」という。
現地説明会は12月1日午後1時半〜3時半、大阪市中央区法円坂2丁目の調査現場。小雨決行。問い合わせは現場事務所(090・2386・7682)。