2019/03/08

大学生3人×女川町のまちづくり関係者7人によるセッション
対話して進めたまちづくりに、復興の英知があった
新しい「スタート」に満ちた、被災地・女川の復興 後編 朝日新聞DIALOG スタディーツアー

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東日本大震災から町の復興を計画した人、推進した人、支援した人は何を見てどんな経験をしたのでしょうか。朝日新聞DIALOGでは、東北の復興事業を行うUR都市機構の協力を得て、若者たちが復興まちづくりを体感するスタディーツアーを実施しました。今回は「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」をスローガンに掲げた宮城県牡鹿郡女川町。2019年2月14日、前日に復興の進む町を視察したツアー参加メンバーは、まちづくりに関わった女川の人々と語り合い、8年の苦労や手応え、今だから言える本音を聞きました。

セッションに参加した大学生は、国際基督教大学教養学部4年の高柳美奈子さん、慶應義塾大学経済学部4年の古井康介さん、東京学芸大学大学院 教育学研究科 修士1年の古野香織さんの3人。前日のスタディーツアーで女川町を見て回った。

女川町からは、女川町商工会参事の青山貴博さん、宮城県女川町職員の佐藤友希さん、NPO法人アスヘノキボウの後藤大輝さん、認定NPO法人カタリバ アドバイザーの佐藤敏郎さん。UR都市機構からは清田咲史さんと川村輔さん。ファシリテーターを認定NPO法人カタリバの渡邊洸さんが務めた。

坂道は危険? 楽しい? 減災の考え方と町の生かし方

高台に住宅、低地に商業地域、と綿密な計画のもと作られた町の様子を視察し、明確なまちづくりの方針が具現化していることを確認したスタディーツアー参加者の大学生たち。それぞれに感銘を受け、女川の魅力を感じていたが、気になったのは坂道と階段の多さだった。

「高台に住居、学校も高台。高齢者の方も多いと思うのでバリアフリーの問題もあるかと思う。何を基準に、住宅や商業エリアの設計を進めたのか」と発した高柳美奈子さんに、女川町役場の佐藤友希さんは「高齢者への配慮については基準を守って設計している。確かに坂も多く、階段も多いが、それはもう女川の地形上の限界。この町は、もう一回、同じ規模の津波が来たら、やはりまた浸水してしまう。でもそのなかでも住まいと命は守ろう、という判断で高台を作った」と答えた。

基準は「命と住宅を守る」だという明確な「減災」の考え方に古野香織さんが共感する。「どこの地域であっても、災害はいつどんな規模で起こるかわからない。自然とともに生きて、実際起こったらどうするか。防災だけでなく減災という観点も大切だとつくづく思った」

高柳美奈子さん
国際基督教大学教養学部4年

商業エリアの中央のレンガ道には、海へ向かって下がるゆるやかな勾配がある。これについては、「スケートボードの遊び場になっている」と意外な活用法が。女川町商工会の青山貴博さんによると「皆が仮設住宅に暮らしていた時は、子どもたちの遊び場がなかった。今は駅前広場で布のスクリーンをかけて屋外映画上映会を開催したり、スケボーパークをイベントにしたり、スペースを活用できるようになった」。楽しい企画が通りやすいのも町の特徴だという。

佐藤友希さん
宮城県女川町復興推進課 土地区画整理係 係長

「海の見える町」のコンセプトに賛否両論はあったのか

復興まちづくりの重要なコンセプトは「どこからでも海が見える、住みたい、訪れたい、自慢したい風景の創出」だった。確かに視察では高台住宅や庁舎から美しい海の景観が広がっていた。しかし、海への眺望が遮られるような防潮堤をつくらない、という判断に最初から皆が賛成したのだろうか。
古野さんの疑問に青山さんは、防潮堤については「最初は作るつもりだったが、20メートルもの高さが必要で、幅もとる。水産業で生きている町としては活動の余地がなくなる。じゃあ町ごと上げればいいのでは? と最初は素人考え。建設のプロに相談して実現性を固めていった」。その経緯を支援する立場から見たUR都市機構の川村輔さんは、「100パーセント同意ということはないし、強烈な反対も中にはあるもの。でも、女川町に関しては、皆が新しいまちをつくるために同じ方向を向いていると感じた。だから造成工事や移転が進めやすかった」と振り返った。

青山貴博さん
女川町商工会参事。行政に対してまちづくりを提案する民間団体『女川町復興連絡協議会』事務局。

佐藤(友)さんは、「実は『町のどこからでも海が見えるように』というのは町の中からではなく、外部の提案だった」と明かす。

「アイデンティティーとして海と一緒に、というのはあったが、自分たちは当たり前すぎて海が見える価値に気づいていなかった。言われてから、海が見えることは、景観の良さだけでなく防災意識を高めることにもつながるのではと思った」。青山さんも「海が見えていれば津波が来たときにすぐ逃げられる」

還暦以上は口を出さない? 若者、よそ者、ばか者の参画

古野香織さん
東京学芸大学大学院 教育学研究科 修士1年

古野さんの研究テーマは「コミュニティーの重要な意思決定にみんなが参加するには」。「還暦以上は口を出さない」という女川でよそ者、若者、ばか者がどう参画してきたかを探る。
発災当時から復興連絡協議会の戦略室に入り、町の課題を解決する事業に携わる、NPO法人アスヘノキボウの後藤大輝さんは「よそ者」として入ってきた一人だ。「もともと熱量が高い人が集まっているので、こちらも熱量を持って関われば返してくれる」という。人口を増やすという位置付けの大事な事業を、「やりたい」と表明し「じゃあ、任せた」と信用された、と経験を語った。

後藤大輝さん
NPO法人アスヘノキボウ

青山さんいわく、「若者とは町の中の当時の若手。よそ者とは町の外の人で女川を理解してくれる人。ばか者とは、すごく熱い町の若手リーダー格や、若手を支えてくれる年長者たちのこと」。震災前のリーダーたちは、震災後に「還暦以上は口を出さない」の方針で若者にまちづくりを任せた。それでも、後押しし、弾よけにもなってくれたと語る。

意思決定が早い! 漁師町はスピーディーで若い

女川では震災発生の翌月には復興連絡協議会が結成され、新たなまちについての議論が始まったという。何度となく出て来た「意思決定の速さ」という言葉に興味を持つ大学生たち。ファシリテーターを務めた女川向学館の渡邊洸さんが「そもそも女川の特性としてまとまりやすいのか」と投げかけると、青山さんは「震災前から、地域問題を考える組織があった」と当事者意識の強さを土壌として挙げた。後藤さんは「漁師町ということが大きい」という。

渡邊洸さん
認定NPO法人カタリバ。女川向学館で学びを支援する。

佐藤(友)さんは、なぜ復興作業が速く進められたかについて、「UR都市機構という技術集団がいてくれたから、我々にまちのことを考える時間的な余裕ができた」と断言する。「こうしたい、と町が決めることができたのは、技術的な部分を担ってくれたから」

元女川中学校教師で、現認定NPO法人カタリバのアドバイザーである佐藤敏郎さんは、垣根を越えたまちづくりデザイン会議の良さを挙げる。「女川の人は会議を形式にせず、みんなが口を出す。こういうディスカッションができる地域はほかにない。対話することが大事」

佐藤敏郎さん
認定NPO法人カタリバ アドバイザー。元女川中学校教諭。

これには古井康介さんが反応。「チームですね。みなさんおじさんかと思ったら感覚がすごく若い。それぞれがセクションのリーダーで、グッと集まってひとつのところに向かっているというのが楽しそうです」

古井康介さん
慶應義塾大学経済学部4年

100年後に伝えられるマインドとノウハウはあるか

震災から8年。「風化」ということも言われるようになり、次世代や横への展開が話題に上がった。佐藤(敏)さんは「このまちづくりを成し遂げてきた大人の姿を、子どもたちが学ぶべき。自分たちも女川をつくろう、と思うかもしれないし、他の地域に旅立っても生かせる」と語り、教材として生かすことに期待した。清田さんは「女川のように、20年後には人口が大きく減少してしまうという話は日本の地方都市にはよくある。町とUR都市機構が一緒に同じ方向を目指せたという女川での経験を、これからのまちづくりにもつなげられたら」と思いを語る。

(現在)
(2013年)

後藤さんは、「当事者から話を聞いて、その下の世代が頑張ろう、と思ったときに、たとえば女川で働ける環境を作っておくことが必要だと思う」と、伝えることの先に言及。佐藤(友)さんは、「震災で、他の地域から職員を派遣してもらい、手伝ってもらった。この先自分も行政マンとして、他の地域に出向することがあったら、恩返しをしたい。そのときまたUR都市機構と仕事ができたら」。自然な感謝に、清田さん、川村さんの顔に笑みが浮かんだ。

清田咲史さん(左)
UR都市機構 宮城・福島震災復興支援本部 女川復興支援事務所 市街地整備第2課。女川町における震災復興事業の事業計画及び調整を担当する。
川村輔さん(右)
UR都市機構 宮城・福島震災復興支援本部 女川復興支援事務所 市街地整備第1課。女川町における震災復興事業の補償業務を担当する。

女川をこんな町に、という未来像については「世界にはほかにも、自然災害や経済危機に陥ったときに面白いまちづくりをした地域がある。それらの英知が女川に集まる仕組みを作るといい」(後藤さん)、「1年に一つ、1億の売上をあげる会社を生み出す」(青山さん)など、それぞれのアイデアが語られた。「震災復興ツーリズムで体験を観光にする」(川村さん)という案には学生たちも賛同。「今回の僕ら3人がまさしくそれ。震災について、理解はできていても、被災地に来るまではやはり共感できていなかった。3カ年パッケージでスタディーツアーを組むといいかもしれない」(古井さん)。「知っておかなければという気持ちで来る人はいると思うが、ここの痛みを知るだけでなく、その先に行けると思う。私たちとの共通課題が埋まっている」(古野さん)。「女川の人は優しくて、よそ者でも何かに挑戦させてもらえそう。住みたいな、と感じさせる町です」(高柳さん)。まちづくりの神髄に触れ、感謝は尽きなかった。

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