2019/08/06

明日へのレッスン5
「国境なき医師団」看護師・白川優子×朝日新聞DIALOG
人間の最も素晴らしい武器は「対話」

Written by ジュレットカミラン with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 仙波 理

次代を担う若者と第一線で活躍する大人が世代を超えて対話する「明日へのLesson」。第5回は、国際NGO「国境なき医師団」の看護師として数多くの紛争地や被災地へ赴任してきた白川優子さん(45)に、平成生まれの若者2人が様々な質問をぶつけました。

白川さんにインタビューしたのは、小林亮介さん(28)と安田クリスチーナさん(23)です。小林さんは高校卒業後に米ハーバード大学に進学。そこで経験した「学寮生活を中心としたリベラル・アーツ教育」をコンセプトに、学校の形を超えた新たな教育を提唱する「HLAB」を起業しました。安田さんはロシア生まれ、札幌育ち。パリ政治学院を卒業し、米国のNGO「 InternetBar.org」で、ブロックチェーンの仕組みを活用して国や企業とは別に個人認証し、自由な経済活動を支えることを目指した途上国支援のプロジェクトをリードしています。

海外経験の豊富な2人ですが、紛争地での救命活動という特異なキャリアを重ねてきた白川さんとの対話から、どのような学びを得たのでしょうか。

心が喜ぶものに向かって歩く

安田: 白川さんは、幼いころにテレビで国境なき医師団のドキュメンタリー番組を見たことが、今の仕事に就くきっかけになったとうかがっていますが、情熱をどう燃やし続けてきたのかがすごく気になっています。

白川優子さん

白川: 私はいつも、心が反応するものに向かって歩いてきました。7歳のときに国境なき医師団の存在を知って、雷に打たれたような衝撃を受けました。でも、その時点で看護師になろうと決めたわけではありません。

私は商業高校出身で、先生たちは就職率を100%に近づけるために頑張っていました。でも、私には「就職」という言葉がピンと来なかった。働きたくないとか、勉強したくないとか、楽に生きたいとかではなく、心の中に何かがあると思っていました。3年生になったとき、クラスメートから「私は看護師になりたくて予備校に通っている」と聞きました。その瞬間に「看護師! 私はこれをずっと求めていたんだ!!」と心がすごく喜びました。それに従って看護学校へ進みました。

安田: でも、自分の心に従うって難しいですよね。特に日本社会は論理性を問われることが多いと思うのですが。

白川: そういう意味では、空気を読まない生徒だったんですね(笑い)。流れに乗らずに、心に反応して進んでいったら、今の道にたどり着いていたという感じです。

小林: 「好き」を突き詰めるというお話ですね。僕は年間500〜600人の高校生や大学生を相手にする仕事をしていますが、みんな、好きなことを探そうと必死になっています。でも、好きなことはそう簡単に見つかるものじゃないと思う。探すのではなく、いろんな経験を経て余分なものがそぎ落とされた結果、見つかる印象があります。

白川: 私も看護師と違う道に進むことを考えたこともありました。でも、全然楽しくなくて病気になりかけ、結局、心が反応するものに引き戻されました。一人ひとりにそういう舞台が必ずあります。例えば、私の弟はずっと大工をやっていますが、とても楽しくて、「自分はこの道一本だ」と思っています。看護師の友達の中にも「私は老人ホームが自分のスキルに合っていて、ここにいることが私のハッピー」という人がいます。それぞれに活躍できる舞台があって、そこでは心が喜んで、ハッピーになるのです。

左から、小林亮介さん、安田クリスチーナさん

一番つらいのは患者が目覚めるとき

安田: 紛争地で一番印象に残っている出来事は何ですか?

白川: 一番というとなかなか決められませんが、私自身もまだ消化できていなくて、ほとんど話したことのないエピソードがあります。

じっとしていて空爆で死ぬか、一か八かで地雷原を通って脱出するかという究極の選択を市民が迫られる紛争地で活動したことがあります。そうした紛争地の患者の多くは、家族単位で運ばれてきます。地雷原を家族が一列になって歩いてくるからです。先頭の1人が地雷で死んでも、後続の人たちはその場所までは安全にたどり着けるよう一列になるのです。

その家族は、お父さんが先頭を歩き、2番目が赤ちゃんを抱えたお母さん、その後ろを4歳の女の子が歩いていたようです。生き残ったのは、お父さんと女の子でした。お父さんは両足を切断せざるを得ず、額にけがをして頭蓋骨が砕けていました。身体のあちこちに破片が刺さっていたので、全身が包帯で巻かれた状態でした。女の子は内臓破裂で、足もけがしていました。その親子のもとへ行くと、2人は横たわったまま黙って見つめ合っていました。4歳の女の子は、包帯のわずかな隙間からのぞく目を見て、お父さんだとわかっていたのです。

私たちが一番つらいのは、手術を受けた患者さんが目覚めるときです。それは、患者さんが自分の手足がないのを知る瞬間かもしれないし、家族が亡くなって自分だけが生き残ったことを知る瞬間かもしれません。生き残ったのはいいけれど、帰る家もなく、これからどうやって生きていけばいいだろうと途方にくれる人もいます。本当の地獄が始まる瞬間かもしれないのです。私たちは救命しますが、医療の役割は救命だけではない。救命して、けがや病気を治し、本来の生活に近い状態に戻してあげることまで含めて医療なのです。

一家のお父さんが「死ぬなら自分一人だけ」という思いで先頭に立って歩く。そういう世界で生き抜いていかなくてはいけない人たちに出会った時に、紛争や戦争の究極の恐ろしさを見たと思いました。

安田: 日本では戦争は遠いですよね。

白川: でも、日本も七十数年前は戦争をしていました。日本人には、この国が平和であることの価値を、もっと深く知ってもらいたいですね。

安田: 海外で戦争学を学んでいる知人が、「日本は今、平和だけど、いざ戦争が始まったら、一番のめり込んだり、一番引き返せなくなったりするのは日本人じゃないか」と言っていました。私はそういう風に考えたことはなかったのですが、確かに、国民が同じ方向に向かってまとまると、すごい団結力を見せる国だと思います。それが高度経済成長につながった一面もあるらしいのですが、怖いなと思いました。

白川: 戦争は絶対に選んではいけない道だということを伝えていかないといけません。世界の誰からも注目されないまま、すごく苦しんでいる人たちを、私は見てきました。平和をキープするには努力が必要です。政治の動きや世界の変化を見て、日本の今の動きが間違った方向へ行っていないかどうか、意識して注目すべきです。

安田: ロシアがウクライナ領のクリミアを併合した2014年に、私はクリミアで暮らしている母方の祖父を訪ねました。祖父が暮らしている地域は平和で、物価が安定し、特需によってロシアからお金も流れてきていました。しかし、海を渡った向こうのウクライナ東部2州は紛争地で、そこから人が逃げてくるのです。実際に、ウクライナ東部のドンバス地域から中国へ逃れた人と話す機会がありました。その人は心も体もすごく傷ついていました。

紛争を起こし、国際法違反と批判されたクリミア併合ですが、私の祖父のように、併合後に年金が増え、生活が安定した人もいます。それから私は、市民の立場から見ると、国際政治のマクロな視点とは異なる絵も存在することを、常に意識するようになりました。

自分が行くことで状況が変わる場所へ

小林: 国境なき医師団の仕事はすごく葛藤が多いのではないでしょうか。普通は、働くことを通じて、日々、成長し、楽しいと思えることを目指せばよいのですが、紛争地や被災地での仕事は生やさしいものではありません。そうしたギャップから生まれる葛藤を、どうやって解消してきたのですか?

白川: 日本には看護師が100万人ぐらいいます。そこから私が1人抜けても、医療体制が崩壊することは絶対にありません。私は、自分1人が行くか行かないかで状況が変わるような場所へ行きたかった。医療を必要としている人がいるのに、看護師はいないし、医師もいないかもしれないし、病院も壊れていて存在しないかもしれないところに。そうした場所に医療を届けることが、国境なき医師団の活動の理念です。その意味では、一看護師としての思いと団体の理念との間に矛盾や葛藤はありません。それは幸せなことだと思います。ただ、現地に行ってからの葛藤はすごくあります。医療ファーストにしたくても、そうならないことがしばしばあるのです。

小林: 医療じゃなければ、何がファーストになるんですか?

白川: セキュリティーです(苦笑)。医療を必要としている人のもとへたどり着かないといけないのに、たどり着くのが難しい。私たちは武器を携帯しない団体です。武器を持っている相手にも対話で臨みます。人間だけが持っている対話の力を武器にしているのです。クリミアのケースでも、武器を持つのではなく、対話を思い浮かべられないかなと思います。

安田: 中国で会ったドンバス出身の彼は、紛争を起こした側の誰にも怒っていなくて、自分たち市民を責めていました。ドンバスでは、最初は対話をしようとしたため、武装が遅れて攻撃されてしまったそうです。彼が「今度はちゃんと自分たちを守れる体制をつくりたい」と言っていたのが印象的でした。私も対話すべきだと考える人間なので、どうすれば現場で生かせるのか、すごく難しいなと思いました。

小林: 対話にはトレーニングが必要です。それができていないと、自分たちと違う人たちと話す時に、すごいエネルギーが必要になる。国境なき医師団や白川さん個人は、対話のトレーニングとして何か特別なことをしていますか?

白川: 私は軍や武装勢力のトップと交渉する立場ではないので、特殊な対話の経験はありませんが、国境なき医師団は、医療を公平に提供するという意味では、どんな相手でも同じ患者、同じ人間として見ています。政権側や反政権側、テロリストグループ、武装勢力など様々な人が患者としてやってきます。その中には、武器を持って戦い、人を殺したかもしれない人や、治療が終わった後は武器を持って戦場に戻るかもしれない人もいます。「どんな背景があろうと、みんな同じ人間として生まれ、平等で平和に暮らしたいと願っているはずなのに、なぜ、この人は武器を持つ選択をしてしまったのだろう」と考えてしまうことがよくあります。

看護師だからこそ、苦しんでいる人の手を握れた

小林: 白川さんは、過酷な現実を構造的に変革しなくてはならないという思いを持っている方だと感じました。ただ、実際に仕事として選んだのは、紛争や災害の現場に行って、分け隔てなく医療を提供することです。構造を直そうとすることと、対症療法的に取り組むことは、ご自身のなかでどうつながっているのでしょう。二つの間で揺れたことはありますか?

白川: 私は一時、天職だと思ってやってきた看護師を辞めて、ジャーナリストになろうと思ったことがありました。紛争の現場で、この空爆を、この銃撃を止めなければいけないと思っても、一看護師が止めることはできません。心の中で葛藤し、ジャーナリストとして惨状を伝えることで構造の変革を迫り、戦争を止められればと思ったのです。

安田: 現場の仕事に携わりながら、全体的な構造にかかわることもできそうな気もしますが、いかがですか?

白川: 現場では、手足がもげて、体中に破片が刺さっているような人が運ばれてきて、長時間の手術を何度も繰り返すことがしょっちゅうあります。助からない人がいても悲しんでいる暇はなく、また次に死にそうな人が手術を待っている。そういう毎日でした。それが何カ月も続くと、自分は夢を持って国境なき医師団に参加し、看護師という天職が生かせる場所で働いているけれども、自分の行為が戦争を止めるための根本的な活動につながっていないことへの怒りを感じざるを得ませんでした。

小林: でも、白川さんはジャーナリストにならず、現場で救命活動を続けています。現状と向き合う姿勢に、何か変化があったのですか?

白川: ジャーナリストになろうと思っている間も、紛争地への出動依頼が続きました。それに応じて現場に戻った時に、看護師としての自分の在り方を再発見した出来事があったんです。ずっとふさぎこんでいた女の子の患者さんがいて、私は特に意識することなく手を握ったり、ハグしたり、つたないアラビア語で一生懸命話しかけたりしていました。任期を終えて帰国する際、あいさつしたら、その女の子が最後に笑ってくれたのです。それを見て、「ジャーナリストになっていたら、この笑顔は見られなかったな」と思いました。看護師だからこそ、苦しんでいる人の手を握れたし、話しかけられたし、治療もできたのです。

紛争地で葛藤することの一つに、物資や薬がなかなか末端まで届かないことがあります。そうした時に、現場でできることには限界があります。ただ、その女の子の笑顔を見て、もしかすると手を握るだけでも意味があるのではないかと思いました。まあ、私のエゴかもしれませんが(苦笑)。

外部から誰も入れなかった地域に、対話という人間の知恵を使って、国境なき医師団がなんとか入れることもあります。そんな時は、現地の人たちに私たちの姿を見せるだけでも、希望が生まれるかもしれない。そうした視点で考えられるようになりました。それはすごく大きな違いです。

小林: 国境なき医師団は、広義の「言語」の壁をうまく乗り越えてきた組織だと思います。すごく遠い場所で起こっていることを、写真などでドナー(寄付する志のある人)に届けていますし、まったく違う思想を持った現地の人々と接する際も、利害関係をまたいでコミュニケーションを取っています。「without borders(境界を越える)」という名称が示すとおり、組織のカルチャーとして、いろんな立場の人たちを巻き込んで同じ方向に向かせるインセンティブ・コントロールがうまいですよね。

白川: 言語はツールとして重要ですが、一番の基本は、一人の人間として接することです。私は30歳の時にオーストラリアへ留学して英語を学びましたが、英語はいまだに流暢ではありません。その代わり、コミュニケーション能力には自信があります(笑い)。言語能力は高くても、コミュニケーション能力が低くて、現地でうまくいかない人もいます。

安田: やはり、人間力と共感力が大事なのですね。白川さんの言動の端々に、ご自身の生き方や姿勢がにじみ出るところが、コミュニケーション能力につながっていて、素敵だと感じました。

私が行かなくても足りているのが理想

小林: 朝日新聞DIALOGは2030年の未来を考えるコミュニティーです。2030年の世界はどうあってほしいですか?

白川: 「なぜ、そんなに紛争地へ行くの?」とよく質問されます。世界中の医療が届いていない現場に、いろんなNGOの人などが行ってくれたら、私は安心して日本にいます。注目されない、あまり行く人がいない現場だから行かなくてはいけない、という焦りがあって、私は紛争地へ行き続けているのだと思います。2030年には、たくさんの人が、イエメンとか中央アフリカ共和国のような全く注目されていない国にも行き、たくさんの援助が入り、私が行かなくても人が足りているという状況になっていてほしい。それが理想です。

小林: そうした目標に向かって、今後、どんな取り組みをされる予定ですか?

白川: 私は今、国境なき医師団の東京事務局で採用を担当しているので、この活動に参加してくれる人を増やすことにまずは取り組みたい。それと同時に、日本人に向けては、戦争という道を絶対に選んではいけないというメッセージを発信したい。昨年、初めて本を出しましたが、書くことが楽しくて、心が喜んでいます。執筆依頼も少しずつ来て、連載もしています。夢の話をしていいのなら、小説を書きたい。紛争地の話になるか、少年兵の話になるか分かりませんが、「アフリカで紛争が何十年も続いている」と言ってもなかなか受け入れられないので、アプローチを変えて伝えたい。もし自分に漫画を描くスキルがあればもう少し広がるのにな、と思ったりもしますね(笑い)。

インタビューを終えて

DIALOGの学生記者、ジュレットカミランです。「どんな相手でも同じ人間」。3人の対話を聞き、白川さんのこの言葉が最も心に響きました。言われてみれば、とても当たり前のことです。しかし、外見、言葉、考え方の違う相手を自分とは全く異質なものとみなす人は、今でも少なくありません。「人間だけが持っている対話の力」を武器にして互いに歩み寄ろうとすれば、もっと優しい世界になると思います。口で言うのは簡単だと言われるかもしれません。でも、白川さんはそれを、想像もつかないほど過酷な紛争地でやり遂げています。この社会に生きる私たち一人ひとりにも、きっとできるはずです。白川さんは「看護師だからこそ、苦しんでいる人の手を握れた」と話しました。しかし、私は、看護師だからではなく、対話を重んじ、どんな相手でも同じ人間として接する白川さんだからこそ、苦しんでいる人の手を握れたのではないかと思います。

では最後に、インタビューした2人の感想をご紹介します。

違いを学びに変え、賢慮のリーダーや市民を育てたい(小林亮介)

世界中の紛争の現場を飛び回る白川さんのご経験は、およそ想像を絶するものでしょう。私たちがうかがったのは、その氷山の一角に過ぎません。「敵」と「味方」、「当事者」と「傍観者」、「戦地」と「平和な日本」。世界は異なる価値観にあふれていて、それが妙にかみ合わない。白川さんはそんな違和感に葛藤し、向き合い続けてきました。

他者の価値観との違いをいかに受け入れ、自身の学びや成長に変えていくのか。多様性をいかにリスペクトし、共に前へ歩む原動力に変えていくのか。白川さんは、いったん諦めたジャーナリストとしての情報発信を「紛争地の看護師」という立場から行うことで、この課題に取り組もうとしています。

他者との違いを学びに変える。そして共に未来を創る「共創の力」に変える。世界で民主主義が窮地に立つなか、こうした賢慮のリーダーや市民が以前にも増して求められています。私も白川さんに負けないよう、レジデンシャル教育というHLABの事業を通じてリーダーや市民の育成に取り組んでいきたいと深く再認識しました。

自分が最も貢献できる場所の見つけ方は?(安田クリスチーナ)

白川さんにお目にかかり、その生き方・考え方に触れて、「心が喜ぶ楽しいことをする人生」という選択肢の存在、普段の姿勢や態度から人間力がにじみ出る人としての魅力、戦争は絶対に起こしてはいけないものだということ、その三つを学びました。

一度しかない人生で、周りから期待されている通りに生きるか、自分の好きなことに打ち込むか。表情などから相手の思いをくみ取り、共感力を駆使して、コミュニケーションをいかに一歩上のレベルまでもっていくか。「平和ボケ」している日本で、戦争をどのように自分ごと化していくか。

実際にインパクトを与え、目に見える形で貢献できるのは、現場での活動だけれど、それと同時に、現場では手に負えないマクロな構造的な問題の存在に気づかされ、やりきれない気持ちになる。どの組織にも、どの社会問題にも当てはまるこの葛藤の中で、私たちはどうやって自分が最も貢献できる場を見つければよいのか。
そうしたことについて、深く考えさせられました。

【プロフィル】
白川優子(しらかわ・ゆうこ)
1973年、埼玉県生まれ。96年、坂戸鶴ケ島医師会立看護専門学校を卒業し、看護師に。2003年、オーストラリアのメルボルンに留学し、現地の病院に勤める。10年に帰国。国境なき医師団に参加登録し、スリランカに赴任。その後、パキスタン、イエメンに赴任し、シリアで看護師長として手術室を統括。南スーダン・マラカル、フィリピン・レイテ島、ネパール、パレスチナ・ガザ地区、イラクなどにも赴任。18年に初の著書『紛争地の看護師』(小学館)を出版した。

小林亮介(こばやし・りょうすけ)
1991年生まれ。ハーバード大学卒業(政治・経済学)。在学中の2011年にHLABを創設。のべ約3000人の卒業生が輩出するサマースクールや、海外の大学進学支援のための年間10億円規模の奨学金、全寮制教育機関「カレッジ」を展開するなど、住環境と教育の複合領域で事業運営に取り組む。三極委員会から最年少でデイビッド・ロックフェラー・フェロー、世界経済フォーラムからグローバル・シェーパーズ、Forbes から30 Under 30 Asia (社会起業分野)にそれぞれ選出された。

安田クリスチーナ(やすだ・くりすちーな)
1995年、ロシア・サンクトペテルブルク生まれ、札幌育ち。パリ政治学院政治学部法学部を首席で卒業。在学中の2016年、個人が個人としてオンラインで尊重される社会づくりをビジョンとする米NGO「InternetBar.org」のディレクターに就任。デジタル技術を活用した途上国・難民支援をテーマに、電子身分証明書事業を立ち上げ、バングラデシュでパイロットプロジェクトを実施中。17年、新卒でアクセンチュアに入社。19年、米マイクロソフトに移り、Cloud Developer Advocatesのプログラム・マネジャーに就任。

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