DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル

どんな家庭に生まれても、学びと育ちの機会が切れ目なく得られる仕組みを
李炯植さん

Written by 乙部修平 with 朝日新聞DIALOG編集部(インタビューカット以外の写真は李さん提供)

「2030年の未来を考える」をコンセプトとしたプロジェクト、朝日新聞DIALOGでは、若きソーシャルイノベーターの活動を継続的に紹介しています。今回は、困難を抱えた子どもへの無償の学習支援や居場所づくりなどを展開する特定非営利活動法人Learning for All代表理事の炯植ひょんしぎ さん(28)にインタビューしました。

Q: まずはご自身のバックグラウンドについて教えてください。どのような環境で育ったのでしょうか?

A: 兵庫県尼崎市の貧困地区で生まれ育ちました。経済的に豊かでない人たちも多く住んでいるエリアで、小学校のクラスの同級生の半分くらいはひとり親世帯だったし、生活保護をもらっている家も少なくなかった。ただ、当時はそこに問題があるなんて感じていなかったし、それが普通だと思っていました。中学生になるとさすがに、少し特殊な環境なんだろうなと気づき始めましたが、その程度の認識でした。

Q: 地元の公立中学校に進学したのですか?

A: いえ、僕は私立の中学校に通いました。それが人生のターニングポイントの一つだったと思います。小学6年生の10月のある日、担任の先生に呼び出されて、「あんたは私立の中学に行くんか?」と聞かれました。クラスメートのほとんどは地元の公立中学に進学する予定だったので、僕もそうするつもりだと答えたら、「あんたは東大に行けるIQがあるから、勉強して私立の中学に行きなさい」と一方的に言われました。その先生が母を説得し、家庭教師がつきました。その流れで中学受験をして受かり、スポーツで有名な私立の中高一貫校に通うことになりました。

Q: 中学・高校時代はどのように過ごしましたか?

A: 進学校化を目指すという学校の方針で、中学では難関国公立大学への現役合格を目指すコースの1期生となり、高校まで6年間在籍しました。1学年400人ほどの高校で10人だけが選抜されたコースでしたが、スポーツ校だけあって考え方が体育会系なので毎日テストがあり、100点を取るまで居残りをさせられました。特別なコースといっても、基本的に勉強が苦手な生徒の集まりなのでやる気はなく、僕らが100点を取るのが先か、先生たちが諦めるのが先か、夜9時くらいまで我慢比べをするという毎日を送っていましたね(苦笑)。

Q: でも最終的には、その成果が出て東大へ進学したわけですね?

A: いえ、東大に進学できたのは、完全に自分の努力と恩師のおかげです(笑)。高校1年生のとき小学校の同窓会があって、中学受験を勧めてくれた先生と再会しました。久々の再会だったにもかかわらず、「あんた、どうせ勉強してないやろ。私があんたを勉強させてくれる環境に連れていく」とまた一方的に言われ、有名受験塾の入塾テストに勝手に申し込まれました。やむなく受けてみたら合格しましたが、高校では成績1位なのに、塾では最下位という生活が始まりました。それから必死に勉強して、高2のときには「もう、お前のレベルの勉強は教えられない」と学校の各教科担当の先生から言われました。結果、通っていた高校の100年の歴史において初めて現役で東大に合格した生徒となりました(笑)。

Q: 東大ではどのような刺激を受けましたか?

A: 正直、大学はあまり好きになれませんでした。僕は中学から私立に進学しましたが、小学校の同級生のなかには、高校を中退していたり、すでにとび職に就いていたり、若くして妊娠している子もいました。自分がまったく違う環境に身を置いたことで、地元の人たちと生きる道が変わってきたと思い、居心地の悪さのようなものを感じていました。一方、東大の学生に僕の地元の友人の話をしても、「バカだから仕方ない」とか「本人が努力しなかっただけ」と受け止める人が大半で、家庭環境のせいで学びの機会が失われている人がたくさんいるという発想がなくて嫌でした。今後、自分がどのようなキャリアを築いていくかにしか関心がない東大生が、薄っぺらく見えました。そんな自分はというと、「大学おもんないな」と思いながら、ずっとパチンコを打っていました(笑)。

貧困や格差がそこにあるのに、それを知らないまま文部科学省に入って政策を作ったり、企業のリーダーになったり、アッパーレイヤーしか見てこなかった人たちが「社会的弱者のために」と言ったりする。そんな構造に欺瞞を感じ、遊び飽きたこともあって、大学2年の終わりくらいから教育哲学を勉強し始めました。なぜ格差が生じるのか、格差が生じている状況はダメなのか、といったことについて学んでみたくなったんです。

そこで出会ったのが、哲学者の金森修先生のゼミでした。モンテーニュの『エセー』を読む発表授業でしたが、生徒の発表を遮って、とにかく先生が語る。その姿を見て、博覧強記とはこのことかと思いました。学べば学ぶほど世界が広がる感覚を知り、「とにかく100冊くらい本を読んで、言語体系を作らないといけない」という先生の教えに従い、『ハリー・ポッター』くらいしか読んだことがなかった僕が、それからの1年間は本を読みあさりました。東大に入ってから知識欲に目覚めるってどういうことだよって感じですけど(笑)。でも、そうした体験を通じて、やはり自分は格差論に興味があるのだと再確認できました。

Q: 困難を抱える子どもたちの支援活動を始めたきっかけは何ですか?

A: 大学3年が終わるころ、バイト先の先輩にボランティアに誘われました。最初は乗り気じゃなかったのですが、本を読んでいるだけで、うだつの上がらない僕を心配した彼女に背中を押されて、ボランティアの説明会に行きました。教員派遣事業を展開する認定特定非営利活動法人Teach For Japanで、貧困世帯の子どもの学習支援をするというものでした。将来は学者になるつもりでしたが、現場も見ておくかと思って参加したんです。

Q: 実際に活動をしてみて、どうでしたか?

A: 葛飾区の生活保護世帯の支援をしたのですが、自分の地元と状況は同じだなあというのが率直な感想でした。最初は、受験を3週間後に控えた中学3年生の学習支援を行いましたが、分数の計算すらできず、進学できる高校がほとんどない子もいました。それまで1年間、学習支援に通っていたはずなのに、どうしてこんな状況なのかと思いました。結局、その子は都立の通信制高校に受かりましたが、そのままでは良い就職先は見つからず、貧困が連鎖していくのは明らかでした。やはり、教室運営の仕組みそのものを変えなくてはいけない。それならば、うだうだ言うより自分でやろうと思い、大学4年のときに教室責任者を務め、仲間たちと一緒によりよい学習支援の仕組みを作り上げることを目指しました。

2012年8月(大学4年生)、一緒に学習支援をやっていた仲間たちと

Q: 教室運営には、どのような課題があったのですか?

A: 学習支援を始める前に、まず子どもたち一人ひとりの学力がどれくらいなのかを知るためにテストをするのですが、分数が分からない子どもに二次関数の問題を解かせるといった内容のテストでした。結果は白紙で0点だから、その子の学力の分析なんかできるわけがない(苦笑)。ボランティアの研修内容や採用方法の改善も必要でした。素人の学生がボランティアをするわけですが、家庭にトラブルを抱えている子も多いので、慎重な対応が求められます。ボランティアが集まらなかったり、継続しなかったりといった問題もありました。

Q: そうした経験を通じて、学者になるのではなく、現場での活動に従事しようと思ったのですか?

A: いえ、今でも学者になりたいと思っています(笑)。ただ、大学4年の1年間をかけて学習支援の仕組みを変えていったら、とても成果が出たんですよね。ボランティアの学生や拠点の数が増え、子どもたちの成績も上がりました。その結果、修士1年になった2013年に、東京と関西全体の学習支援の管理を非常勤職員として任されました。さらに、15年の夏にTeach For JapanからLearning for Allが独立することになり、その代表を務めることになりました。1年半で3000万円規模の事業を引き取り、新たにファンドレイズをして、職員を雇い、法人化し、事業所をつくって……など、とても大変で、学者の道はいったん諦めました。

Q: Learning for Allの事業内容はどういったものですか?

A: 学習支援は、独立した15年から継続して行っています。小学4年生から中学3年生までが対象ですが、中3で分数ができない子に会うと、もっと早くこの子に出会っていればと思うんですよね。また、小3くらいまでの育つ環境が悪いと、発達の遅れや生活の乱れなどが生じます。学習支援を通じて感じたのは、小3以下のもっと早期から学力以外の支援をしないと、こうした子どもたちをサポートするのは難しいということ。そう思っていた矢先に日本財団から、「家でも学校でもない第三の居場所」事業という子どもの貧困対策プロジェクトの第1号拠点を受託しないかと声をかけていただき、渡りに船で引き受けました。

Q: 支援活動をしていて、難しさを感じるのはどんなときですか?

A: 子どもが虐待されて亡くなる事件がありますが、そうなりかねない厳しい状況に置かれた子どもはたくさんいます。困難度の高い子どもほど見つけづらい。それがまず問題です。また、資金面の課題もあります。僕たちの活動資金のほとんどは寄付と助成金で賄われています。行政からの委託事業だけでは、我々がリーチしたい人全員に支援を届けるのは難しい。そうなると結局、自己資金調達が大切になってきます。そのため、広報活動も精力的に行っています。現在、個人サポーターは800人を超えていますが、今年の終わりまでに1000人を目指しています。ゴールドマン・サックスをはじめとする大企業からは、億単位の支援もいただきました。それはもちろんありがたいのですが、1億人から1円ずつ寄付してもらえる団体になることが目標です。

Q: 現在、何人くらいの子どもを支援していますか。また、どういった困難を抱えた子どもが多いのでしょうか?

A: 葛飾区や墨田区などを中心に、全体で年間1000人くらいの子どもたちを支援しています。彼らは「つながり」「学びの環境」「育まれる環境」という三つを喪失しています。つながりの喪失は、学校や家庭に居場所がない、相談をする相手がいないこと。学びの環境の喪失は、勉強したいのにできない、または、学力が著しく低いのに理解できない授業をずっと受けさせられていること。育まれる環境の喪失は、正しい生活習慣や遊びの経験を得られていないことを指します。

19年10月、お世話になった方々を招待し、「LFA大感謝祭」を開催

Q: 「三つの喪失」の原因として、何が大きいと考えていますか?

A: やはり、制度上の課題があります。現在の学校は、勉強ができてもできなくても学年が上がってしまうため、学力を保証する機関ではなくなっています。これは学校制度上の問題です。支援制度の問題としては、子どもや保護者への支援が質的にも量的にも足りない。困難を抱えた子どもたち全員をケアするには、予算が不十分です。

そうした構造的な課題を生んでいるのは、社会の価値観だと思います。この国では、生活保護受給者へのバッシングなど自己責任論が強い。両親がそろった近代的な家族を想定して制度が作られているので、ひとり親世帯になった途端、働きにくく育てにくい環境になってしまう。現在、日本では母子家庭の60%以上が貧困に陥っているといわれています。そこまで高い値は、OECD(経済協力開発機構)加盟国では日本くらいで、政策の失敗と言わざるを得ません。子どもの貧困と言いますが、本当に貧しいのはその親であり、子どもの貧困は社会が複雑骨折した現象の一つに過ぎません。関連する問題にまで視野を広げ、総合的に支援していくことが大切だと思います。

Q: 今後の目標は何ですか?

A: 居場所づくり、学習支援、保護者のサポートなどを含めた子どもの包括的支援モデルを来年までに作り上げたい。それが成功したら、そのエッセンスを抽象化して、研修メニューやマニュアルを作り、子どもの支援に取り組んでいる全国の団体に提供していくことを考えています。その過程で、国の制度の変更も求めていきたい。6歳から18歳までの全ての子どもが、どんな家庭に生まれても、学びと育ちの機会を早期から切れ目なく得られる仕組みが全国に広まるような予算措置や政策を提言していこうと思っています。また、ローカルに活動している支援団体が、やりたい支援をより高い質で行えるようなネットワークづくりも進めていければと考えています。

Q: そうした目標を実現するうえで、ネックになるのは何ですか?

A: やはりお金ですね。100億円あればできるのに、と思うことがたくさんあります。また、ソーシャルワーカーの専門育成機関が足りないことも問題です。ソーシャルワーカーは基本的に非常勤で、給料も安い。優秀なワーカーは行政が手放さなかったり、とても忙しくて新たな人材を育成するポジションに回れなかったりするという構造上の問題もあります。

Q: 100億円あったら、具体的には何をしますか?

A: 全体に薄く広くお金をばらまくのではなく、たとえば葛飾区を夢のような街にします。様々な支援拠点をつくったり、公園に学びの工夫を凝らしたりして、子育てをしやすい環境を整備します。学びや育ちの環境が整えられなかったり、支援が行き届かなかったりするのは、その方法がわからないからではなく、お金が足りないからだということを証明したいです(笑)。

Q: 2030年の世界はどうなっていてほしいですか?

A: 子どもの貧困が世の中に認知され、教育や福祉の制度がもっと前進しているといいなと思います。あとは、もう少し他者に寛容な社会になっているといいですね。僕たちは、子どもがコミュニティーのなかで居場所や承認を得られる、子どもへのまなざしが温かい社会を目指して、じわじわ活動していこうと思っています。そのためには全国の団体と連帯していくことが大事ですが、そうしたネットワークづくりは2030年までにできると思います。

19年6月、約30人いるLearning for Allの職員と

李炯植(り・ひょんしぎ)
特定非営利活動法人Learning for All 代表理事。1990年、兵庫県生まれ。東京大学教育学部卒。在学中から認定特定非営利活動法人Teach For Japanに参画し、2014年、Learning for Allを設立。延べ7000人以上の困難を抱えた子どもへの無償の学習支援や居場所づくりを行っている。全国子どもの貧困・教育支援団体協議会理事。Forbes JAPANの「30 UNDER 30 JAPAN 2018」に選出。

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