DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル

父の死 ブラジャー ダウン症 愛をもって書く
岸田奈美さん

By 魚住あかり(DIALOG学生記者)

 「2030年の未来を考える」をコンセプトとしたプロジェクト、朝日新聞DIALOGでは、社会課題の解決を目指す若きソーシャルイノベーターの活動を継続的に紹介しています。今回注目したのは、障害のある母や弟のことからブラジャーの試着の話まで、軽妙な語り口で書いたエッセーが人気の作家、岸田奈美さん(28)です。

——普段のお仕事について教えてください。

 作家として、エッセーを書いています。文章と表現にかかわる仕事ならば、なんでも幅広くやっていて、経済サイト「NewsPicks」のプロピッカーになる、商品のレビューをする、インタビューして原稿を書くなどさまざまです。

 自分でインタビューを企画することもあるのですが、その時は自分が会いたい人に会いに行きます。最近は、大阪の老舗カバンブランドの工場へ取材に行きました。熟練の職人の方々が日本のカバンづくりの文化を守るために頑張っていると聞いて。お仕事の依頼をもらう時は「岸田奈美という存在で大喜利をする」というような印象が強いですね。

【U30】ジーンズ職人の誇り 瀬戸内から

——「岸田奈美という存在で大喜利をする」とはどういうことでしょうか。

 「私で大喜利する」というようなことがTwitterで結構起きるんですよ。「こんなことしたら面白いんじゃないか」とご提案いただくことや、「面白いものがありますよ」と教えてもらうことが、すごく多いんです。実際にエッセーのネタにつながることもあります。たとえば私が大きなしゃもじを持って、文章のプロにインタビューをする企画がそうですね。

 私が良いコピーづくりに悩んでいた時に、Twitterで、「コピーライター養成教室に行くよりも、コピーがうまい人にインタビューしてまとめた方が勉強になるよ」とアドバイスをもらったんです。それで、「じゃあ、うまい人にしゃもじ持って突撃します」って適当に答えちゃったんですよね。必死さが伝わるかなと、ヨネスケさんから連想して「しゃもじ」って言ったら、「しゃもじを持って突撃する」という情報だけが取材先に先に伝わって面白がられてしまったんです。そこで慌てて広島の会社に特注した大きなしゃもじを持って、インタビューをすることになりました。

ダメ社会人 ウェブでは「いいね」

——ネットに文章を書き始めたのはいつからなんでしょうか。

 5歳の時に父にMacを買ってもらってからです。当時のパソコンの普及率って2割に満たないぐらいで、しかもほとんどがWindowsだった時代に、なぜかMacだったんですよ。おしゃれな方がいいだろうって父が選んだんですけど。その頃からチャットとか、アニメの感想とか、ネットに文章を書くということをやっていました。なので、エッセーを書き始めたのは最近ですけど、文章をネットで書いて反応を見る、っていうのは子どもの頃から経験しています。そこで培った野性的な勘のおかげか、ネットで反応がいいものは何となく分かります。

 でも、昔書いていたものは、今書いているような原稿とは違うんです。目的もなく、思ったことを書いているだけ。原稿って、何か目的があって、調べながら書くものだと思っています。そういう意味で本当に書き始めたのは、前職の、障害者雇用促進やユニバーサルデザインを手がける「株式会社ミライロ」で、広報部長になった時です。プレスリリースで、A4の紙1枚に伝えたいことをまとめなければいけなくなって初めて、見出しの作り方や、構成の大事さについて考え始めました。

——広報部長として働く傍ら、2019年からはインターネットに文章や写真を投稿するサービスの「note」で書くことを始められました。何かきっかけがあったのでしょうか。

 最初はFacebookに日記みたいな短い文章と写真を投稿していました。そしたら「ちゃんとエッセーにした方がいいよ」と人から言われて。私も、投稿が流れていく場所より、残る場所で書きたいなと思ったので始めることにしました。

 noteを始めて良かったと思ったことの一つは、つらかったこととか、コンプレックスだったことを、肯定的にとらえなおせるようになったことです。父が中2の時に亡くなったとか、母が車いす生活になったとか、四つ下の弟がダウン症だとか。

 私、文章書くのが好きだし、面白いことするのも好きなんですけど、当たり前のことができないんですよ。タイムカード押したりとか、経費精算をしたりとか。ルーティーンの作業が、本当にできないんです。遅刻も、会社員時代に200回くらいしました。「社会人として駄目だ」と言われ続けてきたんですけど、それをnoteに書いた瞬間、私のずれた視点やくせを面白がってもらえたんですよね。それがすごくうれしかった。

 そうするうちに、ブラジャーの試着の体験を書いたエッセーに、すごく反応があったんです。多分120万PVぐらい。その日に起きたことを日記のように書いたのは初めてだったので、そこまで読まれたことに驚きました。その次に、ダウン症の弟に関するエッセーを書いたら、これも同じくらい読んでいただいて。

 この2作を書いて「なるほど、Webではこういう日常のことでも、私がめちゃくちゃ面白がって愛をもって書けば、人の心に届くんだ」と気づきました。その時に、コピーライターの糸井重里さんに目をとめていただいたことから、色々なご縁も生まれましたし、note運営者の方が出版社に紹介してくださったりして、その後の文筆のお仕事につながっていきました。

まずは突撃 天才には勝てないから

——2020年3月に退職されて、専業作家になりました。作家一本でやっていこうと思ったのは、どういう理由からなんでしょうか。

 会社にいた10年間は、めっちゃ刺激的でした。プレスリリースを成功させて「『ガイアの夜明け』に出よう」とか、大きな目標に向けて動くことは楽しかった。でも10年たった今、自分だけがやらないといけないことがなくなったんですよね。後輩も育ったし、やりきった感、走りきった感があったので退職を決めました。

 専業作家になるにあたって、経済的な不安はもちろんありました。でも、弟の記事を読んでいただいた方から集まったnoteの投げ銭がびっくりする金額で、その時に「いけるかもな」って思ったんです。企業からお仕事の依頼が来たり、周りの人が「絶対に岸田さんは書き続けたほうがいい」と言ってくださったりしたので、専業作家の道に踏み切りました。

——これまでは作家として世に出るためには、出版社を通したり、何かの受賞をきっかけにしたりということが普通でした。岸田さんが「そうではない道」を取ることができた理由は何なのでしょうか。

 完全にnoteのおかげです。YouTuberの人が「YouTubeのおかげで、広告収入だけで生きていける」とおっしゃっているのと同じで、noteというプラットフォームがあったから、作家という道を選ぶことができたのだと思います。読者がとてもやさしいし、運営者の方もすごく応援してくださるんですよ。自分のやりたいこととプラットフォームがカチッとはまった感じです。

 これまでは、出版社から依頼をもらって書くことが普通だったと思うんですけど、私のやり方は違うんです。まずは自分が面白いと思うものに突撃して、文章にしてしまう。それを「本にしたい」と言ってくださる出版社さんがいらっしゃれば、そこで初めて一緒にお仕事するというやり方です。

 人生で初めて確定申告をした経験を、エッセーに書いたことがあるんですけど、その時も先に文章を書いたんです。noteで公開するという段階で、確定申告の際に使ったソフトを作っている会社に協賛のお願いをしました。そしたら無事に「喜んで」って言っていただけて。そういう風に、先に自分が思いを込めて書いた後に、お金を払ってくれそうなところを探す、という方法を取っています。

 なぜそうするかと言えば、これまでのやり方では私は勝てないという自覚があるからです。世の中には天才がいるし、成功した人が数多くいる中で、私なんかが作家として生きていくことはできないだろうなって思うんです。たとえば、小説家だったら宮部みゆきさんとか伊坂幸太郎さんとか。エッセーの分野ではさくらももこさんとか林真理子さんとかがいらっしゃって、私が割り込む余地はない。そんな中で何十年も勉強して、賞を取ってようやく小説家デビュー、というのは効率が悪いと感じました。

 でも、ネットとSNSとエッセーを組み合わせたやり方なら、まだ、勝てる余地があるかもしれないと思ったんです。強みと実力を冷静に考えて、よりチャンスのある方へ行きたいと思っています。


■岸田さんの歩み

13歳リフォームデザイン会社を経営していた父が心筋梗塞で亡くなる。
16歳母・ひろ実さんが突発性の大動脈解離で倒れる。一命は取り留めたものの、下半身麻痺で歩くことができなくなる。
18歳社会福祉と起業を学ぶため、大学に進学。在学中に知り合った仲間2人とユニバーサルデザインのコンサルティングなどを手がける「株式会社ミライロ」を起業。10年にわたって在籍し、広報部長などを経験。
28歳作家として独立。

家族の話 全力で「おすそ分け」

——家族のことを中心に書く理由はなんですか?

 愛しているものや、面白いと思うことを全力で人に「おすそ分け」するのが好きなんです。そして、たまたま私がおすそ分けできるのが、家族の話だった。時々、誤解されてしまうのですが、私は自分の家族の話を美談だとは思っていません。「これ、いい話でしょ」とか言いたい気持ちも全くない。ただ、私がうれしかったから、この気持ちを知ってもらいたいとか、こんなふうに物事を考えたら素敵だなって思ったことを知ってもらいたいなという気持ちで書いています。

 でも、ダウン症の弟のことを書いたエッセーが読まれた時に、色々言われたんですよ。「障害のある家族のことを明るく書かれたら困る」という内容のメールをたくさんいただきました。「自分も障害がある家族がいるけど、めちゃくちゃつらかった」「面倒をみないといけないし、暴力を振るわれたこともあった」「美談として書いたら、そうじゃない人が責められているような気分になる」って。私はそれに怒るというよりも、そういう人も確かにいるなと思ったんです。

 だから次に「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」っていうエッセーを書きました。家族の写真を撮っていただいた、写真家の幡野広志さんに聞いた、NASAの話がきっかけでした。NASAにはスペースシャトルを打ち上げるとき、一番近くで見られる特別な部屋があるそうです。入れるのは、配偶者と子ども、子どもの配偶者だけで、きょうだいや親はだめ。「自分が選んだ家族が、本当の家族だ」と定義づけているからなんだそうです。

 それを聞いた時、とても納得感がありました。私は、家族だから母と弟を愛しているんじゃない。「家族だからこうやって幸せでいろ」と言いたいわけじゃなく、「性格が良くて優しくて明るい母と弟だから好きだし、知ってほしい」と思っていたんだと気づいたんですよね。だから、家族に関するエッセーを読んで傷つく人や嫉妬する人はこれからもいるだろうけど、私は自分が愛することを選んだのがたまたま母と弟だったということを心にとめて、これからも書いていこうと思います。

——今後やりたいことについて教えてください。

 四つあります。まずは「岸田奈美」っていう存在のブランド化。たとえば糸井重里さんってコピーライターだけど、コピーライターじゃない。もはや「糸井重里さん」っていうブランドだと思ってるんです。だから、糸井さんが好きな食べ物やアイデアを出したグッズを買う人も多いし、糸井さんが応援する作家を応援する人もいるんですよ。そういう風に、「岸田奈美」という存在を全部面白いと思ってもらいたいです。

 二つ目が、愛する人ともので囲まれることです。自分が好きな人と好きなもののことだけ書いたり、好きなものに囲まれたりする人生が目標です。

 三つ目は、常に成長と刺激のある日々を送ること。昨日よりも今日、いい仕事ができているかどうか、常に考えています。去年の夏に書いたブラジャーの記事は、今は読み返すのが少し嫌なんです。言葉が稚拙だったなとか、もっといい言い回しがあったのにと思ってしまうので。短いスパンでどんどん自分をアップデートしていきたい。

 四つ目は、家族が健康で経済的に幸せであること。父の死や母の大病を経験して、いかに健康が幸せに直結するかということが分かりました。経済面で言えば、神戸で暮らす家族を東京に連れてくることが目標です。

 この四つさえクリアできれば何でもいい。その手段はもしかしたらYouTuberになることかもしれないし、兼業作家に戻って、企業で働くことかもしれない。でも、私が人よりも自信を持つことができるのは文章なので、それを基軸にしていくことは変わらないと思います。

=写真は、いずれも滝沢美穂子撮影

欠点をも愛する 面白グッズで

——今後書きたいことや、挑戦してみたいことについて教えてください。

 ざっくりした話で言うと、母や弟が幸せに生きられる機会につながる何かを書きたいと思っています。たとえば弟と一緒に障害者雇用をしている会社を訪問して、弟が職業体験をし、私が記事に書くとか。バリアフリーな社会が広がれば、車いすユーザーの母も外出しやすくなるので、車いすの旅行ロケもやってみたいです。

 あとは、私が愛しているものを一緒に愛してくれる人が増えるようなことを書きたいですね。好きな商品を作っている企業に行ったり、好きな人に会いに行ったりしてその魅力を書きたい。自分の欠点を愛するための面白グッズも作ってみたいです。「200回遅刻した岸田が作る遅刻の言い訳LINEスタンプ」とか。

——2030年の社会はどうなっていてほしいですか。

 選択肢の多い社会を作ってもらいたいし、私も作りたいと思っています。新型コロナウイルスで外出自粛になり、リモートワークという選択肢を選ぶ人が増えましたけど、今までは障害のある人にはそれが認められなかったんです。車いすでラッシュの時間帯の電車に乗るなんて大変ですよね。段差のあるライブハウスにも行けません。コンサートでは「最前列は危ないからだめ」って言われる。車いす席に行くと、だいたい一番後ろだから、ステージが全く見えず楽しめない。

 通勤も大変で、娯楽にも制限があったのに、今回急にリモートワークや無観客ライブの配信といった選択肢が広がった。車いすユーザーの母は、家から一歩も出ずに仕事ができています。ニーズに合わせた柔軟な働き方や遊び方のできる社会になってほしいなと思います。

 そもそもリモートワークのできる環境自体は数年前から整っていましたよね。でも、「会社でなければ仕事ができないんじゃないか」とか「家だとさぼるんじゃないか」といった思い込みで、普及しなかった。その思い込みが間違いだったということが、やっと証明されたんだと思います。

 思い込みは他にもありますよね。たとえば障害のある人は障害者手帳を見せないと、水族館や映画館の割引が受けられない。あんなにかさばる紙の手帳を毎回出すのって大変なんです。アプリで代用できると思うんですが、「紙の手帳でないと不正が起きるかもしれない」という思い込みがあって、なかなか進まない。まずは開発して使ってもらって、不正が起きたら対処していくという考え方もあると思います。前職ではそんなアプリのPRに携わっていました。性的マイノリティーの人とか、障害のある人とか、少数派の人の声って、不安や思い込みにかき消されてしまいがち。そういう思い込みを少しずつなくしていきたいですね。

岸田 奈美

 1991年生まれ、神戸市出身。関西学院大学卒。株式会社ミライロの創業メンバー、広報部長を経て2020年3月に作家として独立。自分が愛するものについて、「100文字で済むことを2000文字で伝える」をモットーに、車いすユーザーの母、ダウン症の弟、亡くなった父の話などを講談社「小説現代」の連載や文藝春秋2020年1月号巻頭随筆などに執筆。コルク所属。https://kishidanami.com/

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