ここから本文エリア 現在位置asahi.comトップ > デジタル > 記事

「ウェブ進化論」著者、梅田望夫さん(45)に聞く(下)

不特定多数の参加で、ネット全体が賢くなる

2006年02月19日

写真

梅田望夫さん

(〈上〉から続く)

●検索エンジンの功績

 ――不特定多数が参加する「ウェブ社会」では、何が起ころうとしているのでしょう。

 誰もが表現できるようになったと言っても、10年前のウェブページのブームと一緒で、これまでだってできた、と言う人もいる。本質的に違うのは、一つには表現する道具がとても安くなったこと。とてもカジュアルに、表現ができるようになった。

 もう一つは検索エンジンの存在。インターネットを第1世代と第2世代に分けると、第1世代はリアル世界のアナロジー(相似形)でインターネットを考えていた。

 例えば、雑誌のアナロジーとして、野球のウェブサイトをつくるには「有名なサイトをつくらなければ多くの人はやってこない。企業がカネをかけ、いいコンテンツそろえ、パッケージにしなければ」という発想だった。

 だが、検索エンジンの登場で、容易に未知のコンテンツに出会うことができるようになった。何かを知りたいと思ったら検索エンジンに聞く。友達に「見にきて」とでも言わない限り、誰も来てくれなかったホームページにも、検索エンジン経由で、見知らぬ人も来てくれる。参加者の拡大が、ウェブ全体に貢献する構造ができた。

 グーグルは、情報インフラとして、検索エンジンの意味を最も理解し、次の手を打っている。関心のある言葉を検索窓に投げるとリストが返ってくる。そこで、関心のデータが情報として蓄積され、メタデータ(データについてのデータ)が積み重なる。参加者が増えれば情報量も増える。グーグルは情報インフラに組み上げ、どんどん賢くなる。グーグルが賢くなれば、インターネット全体が賢くなる。ネットの世界が豊穣(ほうじょう)に発展し出すわけです。

 不特定多数の人たちが参加できるなら、その力を使って何かをつくろうとか、サービスを考えようという動きも出てくる。誰でも書き込み、利用できるオンライン百科事典「ウィキペディア」は一つの実例でしょう。誰でも自由に参加できる仕組みをつくり、人々が表現したことの上に、メタデータを用意する。「そこに新しいビジネスチャンスがある」という仮説もある。そういうサービスを「ウェブ2.0」と呼ぶ人もいる。

 ――「ウェブ2.0」という概念はどう考えればいいのでしょう。

 インターネットが普及して10年がたった。IT産業には10年から15年に1回、新しいパラダイムができる。80年代のパソコンの後は、90年代のインターネットだった。かねてからインターネットに代わるのは何だという議論はあった。次は携帯だ、ナノテクだ、バイオだ、などと言われてきたわけです。産業界全体に「次が来て欲しい」という期待が高まる一方で、「やっぱり、次の10年もインターネットだ」という確認の言葉が「ウェブ2.0」だと思う。

●「ウェブ」と「リアル」の隔絶

 ――「総表現社会」の先には何があるのでしょう。それは現実の社会にどんなインパクトを持つんでしょうか?

 「あちら側」のウェブ社会と「こちら側」のリアル社会は、あまり融合しないのではないか。例えば、広告費では、ネットは伸びているけど、既存の媒体のシェアは下がっている。そんな状況は起きるかもしれないが、質的な変化をもう一方の世界に及ぼす、ということは暫くないと思う。

 若い人が当たり前だと思っていることでも、リアル社会の大人たちは何にも知らない。ネットの「あちら側」の興奮はリアルの「こちら側」には全然伝わらない。

 リアルのメディアが人材発掘にウェブを活用するかもしれない。『電車男』のように、ネットで面白いことを書いている人がいるから本でも書かせてあげよう、という橋の架かり方はある。

 だが、ウェブ社会とリアル社会の本質的融合はイメージできない。ウェブ社会では、特殊で不思議なことが起き、影響力が大きくなっても、普通に暮らしているリアル社会の人には全然見えない。

 家庭で言えば、お父さんとお母さんはリアルの社会で暮らしている。一方、15歳と13歳の子どもはアフィリエイトとグーグルのアドセンスで小遣い稼ぎしている。昼間、学校に行ってる間に、子どもたちの分身のウェブサイトがパートの母親より稼いでいる。でも、親にはよくわからない。それで、子どもは相変わらず「勉強していい大学行きなさい」と言われ続けている。若い人たちは「説明してもしょうがないからいいや」となってしまう。

 ――生まれたときにはウェブがあった子どもたちが、リアル社会の主役になると…。

 そうなると変わってくる。だから長い時間がかかる。世代交代によってしかリアル社会への変化は起きないように思う。

●日本のベンチャー市場は20年前のバレー

 ――シリコンバレーから、日本のIT産業をどう見ていますか?

 ベンチャー企業のあり様は、20年から25年ぐらい前のシリコンバレーに近い。90年代後半にシリコンバレー型の起業家経済の種が日本にも輸出された。日本社会でも芽が出ている気がする。普通の経済ルールとは違うから、鬼っ子みたいな企業も生まれるだろう。でも、種は植えつけられた。だから20年ぐらいかかると、そういう起業家経済圏が広がってくるんじゃないかな。

 例えば、ビル・ゲイツは50歳、スティーブ・ジョブズも50歳。PC産業が誕生した70年代半ばに20歳ぐらいだった人が、成功したのが80年代前半。ゲイツら有名人だけではなく、そういう企業の成長期に会計士や弁護士で入った人がいる。ベンチャーキャピタル(VC)でも、グーグル、アマゾンなどへの投資で知られる大手クライナー・パーキンスのジョン・ドーアとかも同じ世代だ。

 彼らは、まず親しい仲間と会社を立ち上げた。その後、違う会社で失敗したり成功したりして、ある人に引っ張られてこっちにきた、というようなことを繰り返している。彼らは30年間、同じような経験を積み重ねてきた。一緒に仕事した経験の蓄積が、あの土地で見えないネットワークになっている。シリコンバレー活性化の理由は、このコミュニティの存在だ。

 日本の30歳前後の起業家にも、5年ぐらい前から同じようなことが起きている。「ミクシィ」の笠原健治社長や「はてな」の近藤淳也社長、「グリー」の田中良和社長らは同世代の友達だ。さらに、ベンチャーキャピタルでやっている誰と誰がいて、とか。20年もすれば、彼らは50歳ぐらいになる。このコミュニティに広がりがでてくる。何かやろう、となっても電話一本で、さっとチームができる。

 ――シリコンバレー型のベンチャー企業には誤解もあるようです。

 起業家経済圏というのは「無」から「有」を生み出す世界だ。起業家は新しい技術やビジネスモデルで社会に大きな貢献を果たす。それに対して、例えばライブドアの事件は、報道によれば「生み出していない」のに「生み出した」とウソをついた、ということになる。

 「売り上げは全然ありません、でもその会社には高い時価総額がつきました」という話と、ライブドア事件を混同してはいけない。つまり「すごい技術を開発しました。でも売り上げはありません」と正直に言える会社には種がある。その種をどう評価するかはマーケットの問題。マーケットが、評価するか、しないか、ということは、起業家経済につきものの「ゆらぎ」なんですよ。

 大企業になると客観的な評価基準がある。「無」から「有」を生み出す最初の過程には、ものさしがない。売り上げがなくても、「この会社の価値はすごく高い」とか「才能のある人が10人、20人いるから何かを生み出してくれそうだ」といった期待値をお金の額で評価しなければならない。この見極めが難しい。だが、その過程がないと、起業家経済圏は育たない。そこで重要なのは、ベンチャー企業が正直に自らの情報を開示しているかどうかだ。

――2002年にNPO「ジャパニーズ・テクノロジー・プロフェッショナルズ・アソシエーション」(JTPA)を設立しました。シリコンバレーへの日本人技術者進出を支援する「日本人1万人・シリコンバレー移住計画」にも取り組まれています。現状はいかがですか。

 これも20年計画です。活動の中心は若い人とコミュニケーションをとること。バブル期は、シリコンバレーも人をどんどん雇用していたから、気軽に現地入りしても仕事が見つかった。今では、相当の実力を持った人でないと、1、2年は働けてもコミュニティの中でやっていけるとは限らない。

 アップルやアドビ、サン・マイクロシステムズなどの中核で活躍している優秀な日本人ハッカーはいる。そういう人たちは自力で、腕一本で、やっていくことはできる。ただ、米国でビジネスマンとしてやっていきたい、という人の場合は、やはり留学をして、大学院卒業後、プラクティカル・トレーニング期間にどこかの会社にもぐりこむ。そこでビザを取ってもらい、いい仲間とも知り合う。そういう経歴が米国に根付く方法の王道ですね。それができる時間の余裕のある人たちに、メッセージが伝わるといいと思っています。


関連情報

サブコンテンツへの直リンクメニュー終わり
∧このページのトップに戻る
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。 Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.