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【新聞】「大麻」報道に欠ける視点 メディアは何をすべきか

2009年2月10日

  • 筆者 田原和政

 名門関東学院大ラグビー部の部員や大相撲の外国人力士、プロテニス選手、さらには慶應、早稲田、同志社、関西学院といった有名大学の学生ら若者の大麻事件が相次いで発覚、違法薬物問題の取材・報道が盛り上がりをみせている。

 インターネットを通じた密売が薬物汚染を身近な場所に広く浸透させていることを再認識させられる事態だ。種子から自分で栽培するといった新手の手口も「いたちごっこ」にたとえられる薬物犯取り締まりの難しさを示す。若者のモラル低下も否定できない。今、薬物の危険性と対策の重要性について読者に警鐘を鳴らすことはメディアの重要な役割といえる。

 だが、まるで凶悪事件や権力犯罪が多発したかのような熱の入った報道ぶりに、私は「なぜ今、大麻報道なのか」あるいは「何か伝えるべきことがほかにもあるのでないか」といった一種の違和感も禁じえなかった。一連の事件の取材を現在担当している立場ではないが、薬物事件や乱用予防対策についての取材体験から、自らの反省を込め、メディアの課題について考えてみたい。

 1984年春から1年余、警視庁クラブで薬物犯罪を担当したことがある。この間、84年5月に43キロ、翌年2月には68キロの覚せい剤大量押収事件が起きた。いずれも台湾ルート。当時、史上最高の押収とされた。が、私が担当を代わってからは100キロ単位の押収事件が続出する。終戦直後の覚せい剤第一次乱用期終息後、1970年代から再び問題化していた第二次乱用期のピークだった。

 大麻事件も起きている。84年ロサンゼルス五輪の水泳選手の現地での大麻吸引が発覚、警視庁によって摘発され、大騒ぎとなった。しかし、この騒ぎは一時的な関心を呼んだだけであった。大麻は当時から海外旅行帰りの若者や留学生、洋楽などの芸能関係者らの事件と相場が決まっていた。有名人のスキャンダルや、ラップにくるんで丸ごと飲み込んで密輸入するなどの運び屋の手口を伝えるのが報道の典型だったといえる。

 ヘロイン、シンナー・トルエンなどの問題も先鋭化した時代があったが、日本においては薬物事犯の中心関心事は覚せい剤だった。90年代末には今も続く第三次乱用期が宣言される。密輸の仕出し地域は韓国・台湾から中国・北朝鮮に変わり、イラン人などの密売グループが日本社会に定着してしまったことなどが、暴力団関係者らのルートに限られていたとされる末端の密売事情を大きく変えた。

 2007年秋、私は日本経済新聞夕刊社会面で「薬物と闘う」と題した連載企画に参加したが、約20年ぶりに取材して感じたのは薬物汚染の“大衆化”だった。「エクスタシー」などと呼ばれる錠剤型麻薬、MDMAに代表される合成麻薬類など「脱法ドラッグ」が次々登場、麻薬取締法では取り締まりが間に合わないと、06年に薬事法が抜本改正された。この間、大麻押収量はじわじわと増加、違法薬物汚染のすそ野の広がりを示す証左との指摘もあった。しかし、私たちは連載で大麻に的を絞ることはまだなかったのである。

 それでは今なぜ、大麻事件あるいは大麻報道なのか。多くの専門家は大麻汚染がにわかに拡大したという見方には否定的だ。ここに来て変化が起きているとすれば、むしろ捜査機関側の姿勢や対応の変化との見方がある。

◆大麻汚染摘発が示す薬物対策の新たな局面

 第三次覚せい剤乱用期の対策として内閣府に設けられた薬物乱用対策推進本部は08年8月、「第三次薬物乱用防止五か年戦略」を策定、発表した。冒頭強調されているのが「覚せい剤事犯の検挙人員の減少傾向」と「大麻事犯の検挙人員の10年前の約2倍の急増」および「検挙人員の8割強が初犯という乱用のすそ野の広がり」との分析だ。その上で、4項目の戦略目標の第一に挙げられた「乱用を拒絶する青少年の規範意識向上」で「覚せい剤対策が一定の成果を挙げているが、大麻、MDMAなど合成麻薬の青少年中心の乱用状況がうかがわれる」との判断を示し、それを受けて「若年層への乱用拡大が見られる大麻事犯について、取り締まり方策の検討を行う」とされている。一方、覚せい剤対策については密輸密売の摘発に加え、依存症者の社会復帰、治療支援が強調されており、末端乱用者摘発からの重点の転換をうかがわせる。

 警察は違法薬物事件の取り締まり部門を組織犯罪対策部門に移管し、暴力団ら密売組織などの根絶に照準を当てた捜査を展開してきた。それが大量密輸ルートを壊滅させるなどの成果につながる一方、末端乱用者の取り締まりが手薄となり、検挙者数の減少をもたらしたとの指摘もある。また単発的な事件捜査にもきめ細かく対応してきた厚労省・地方厚生局麻薬取締部の成果が取材で掘り起こされた面もありそうだ。が、覚せい剤一辺倒の取り締まりの見直しが背景にあるなら、日本の薬物対策はいよいよ新たな局面に入ったという見方もできるのである。

 大麻はときに「ソフトドラッグ」などと呼ばれ、ヘロイン、コカイン、覚せい剤などと比べ依存性の程度が少ないという見解がある。海外では法規制緩和の動きもある。捜査当局にとってもメディアにとってもこのような事情は暗黙の前提だったように思う。だからこそ、大麻取り締まり事件がクローズアップされるや「なぜ大麻取締法には使用の罰則がないのか」「種子の所持は合法か」といった基本的な疑問が取材・報道の関心事になり、専門家の大麻有害論が改めて紹介されることになったのでないか。

 今の20代の若者は学校で薬物についてかなり詳しい記述がある教科書で学び、年1回は麻薬取締官OBなど外部の専門家らを招いた薬物教室を受講した世代である。その若者たちに「大麻に罰則がない国はあるが、アジアには死刑の国がある」「大麻でも急性中毒になることがある」「他の薬物依存の入り口になる例が多い」と専門家に言わせてみたところで、どれだけ説得力を持つのだろうか。薬物と無縁な若者はまったく聞き流し、興味を持つ若者には警告の効果はあまり期待できない。インターネット検索で、より詳しくかつ豊富な薬物の知識を持つ者も少なくないのだ。基本的な啓発記事に意味がないというつもりはない。それだけでは違法薬物に手を出す若者がなぜあとを絶たないのか、その理由が見えてこないし、その解決の方向も見いだせないと思うのだ。

 これまでメディアは薬物事件のニュース価値を、スキャンダル性に見出すような報道に終止してきたと言えないだろうか。とりわけ大麻ではその傾向が強かった。少なくともそれが私自身の反省点だ。その意味ではメディアも日本の代表的な薬物乱用対策運動の標語である「ダメ。ゼッタイ。」の呪文に寄りかかってきたといえる。

 米国では80〜90年代に麻薬組織との戦争が宣言され、国内でも末端乱用者の取り締まりが強化された。結果、刑務所が満杯になる一方、薬物の蔓延に歯止めをかけることができなかった。その反省から裁判所が被告人に刑罰か専門施設での治療プログラムかの選択をさせるドラッグ・コート制度が各地で導入されるようになり、薬物対策に成果を挙げるようになった。

◆薬物問題に正対する報道姿勢が求められる

 日本の刑務所でも薬物犯は窃盗犯に次いで多い。ただ、受刑者の絶対数がまだ少ない日本の薬物政策は、かつての米国にならい、刑罰の強化が中心となってきた。その象徴が「ダメ。ゼッタイ。」だ。

 ここには薬物に手を出させない強いメッセージが込められているが、手を出した者を厳しく指弾し、容赦なく突き放す。とともに、本当にダメか、ダメなことをしてしまうのはなぜか、ダメなことをしてしまったらどうしたらいいのか、こうした疑問や議論を封じる効果を伴う。

 教育現場でもその限界は認識され出した。前向きに生きる動機のある子どもたちには有効だが、リスクの高い環境や条件の子どもたちには一歩、踏み込んだ指導が必要とされる。米国の薬物対策から始まったライフスキル教育プログラムと呼ばれる実践指導が普及しつつあるが、薬物の誘いの断り方も具体的に身につけさせる。これは「自分を大切に思う気持ちをいかに育てるか」に行き着き、たばこ、アルコール、そして性の問題行動を考える場合とつながる。

 背伸びする若者が薬物に手を出しがちという。薬物は社会と生き方の問題に深く絡んでいる。

 薬物依存に陥ったり、薬物犯として刑を科され、職場や学校を追われた人の社会復帰には多くの困難が伴う。家族の相談機関もまだ限られる。精神科の治療施設も薬物乱用者を敬遠する実態がある。「ダメ。ゼッタイ。」への頼りすぎが、教育や医療、福祉としての薬物対策の遅れをもたらした面はないだろうか。

 日本でも「ハードドラッグ」の代表である覚せい剤乱用者についてようやく回復・治療支援策に関心が向かいつつある。「第三次薬物乱用防止五か年戦略」にも盛り込まれ、すでに刑務所や保護観察所での改善指導プログラムの導入といった新たな試みもみられる。刑罰の視点だけから解決を図るのでは限界になったことを政府がようやく認めたことを意味する。

 薬物事件で大麻事案の占める位置が高まったことは、薬物汚染の状況が好転したことを意味しない。一連の大麻事件報道を、従来の「ダメ。ゼッタイ。」という議論の枠組みから抜け出し、社会全体が薬物問題に正面から向き合う契機としたい。(「ジャーナリズム」09年1月号掲載)

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田原和政 たはら・かずまさ

日本経済新聞社編集委員。1953年生まれ。

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