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【新聞】記者は社内の「温度差」と闘え 災害報道に求められる「主体性」

2009年3月10日

  • 筆者 服部孝司

 今年1月17日、神戸市内で配られた各紙の朝刊1面はやはり阪神・淡路大震災14年がトップだった。神戸新聞は地元のケミカルシューズ業界の震災負債が37%未返済と復興が進んでいないことを伝えた。朝日は自主防災組織の組織率が全国で7割を超えたことを大震災の教訓と紹介した。毎日は造成地の危険調査が進んでいないと指摘、読売は震度計の不具合が55%と警鐘を鳴らした。

 1面トップという扱いは昨年までと同様であっても、震災復興にこだわった神戸に対し、3紙は将来の災害への備えに軸足を移したとの印象を受けた。当日の夕刊こそ、鎮魂の地として定着した神戸・三宮の東遊園地に焦点を合わせ、伝えていく大切さを訴えたが、特定の現場がない朝刊では、各紙の大震災報道に、かつてのような明確な方向性を感じ取れなかった。歴史となりつつある大震災14年目の朝、いったい何をどう伝えればいいのかという悩みが紙面に表れているかのようにも思えた。

 激震に襲われた午前5時46分、東遊園地では黙祷の後、神戸市長が震災を後世に伝える必要性の中で「すでに神戸市民の3人に1人が震災を経験していない」と述べた。地震の後に生まれた人たち、被災地外から転入してきた人たちが人口の3割を占めるに至っている。その現実はこの広場にも及んでおり、慰霊に訪れた人たちの中で遺族を探し出すのは容易ではない。遺族に取材する各紙の記者たちにしても大半が被災地外の出身だし、14年前は小中学生ぐらいの若者がほとんどだ。震災経験のない記者が遺族探しに苦労する光景を目の当たりにして「くるべきものがきた」との感慨をより深めた朝でもあった。

 初期の震災報道に携わった元記者として、被害の実態や被災者の苦悩、全国から手を差し伸べられた救援活動などを伝えることは、いわば自明の「使命」だった。被災地内では安否情報や生活情報の担い手として、新聞の身近な力が再認識されもした。また、被災者の生活・住宅再建支援の法整備に向け、私有財産として渋る財務当局に対して、各紙が競うようにキャンペーン報道を繰り広げ、改正の後押しもした。

 しかし、震災翌年ごろから「温度差」という表現で指摘されたように震災報道の東西落差は大きくなり、被災地外の関心は急速にしぼんでいった。その疎外感と「伝えきれていない」との後ろめたさは神戸新聞をはじめ全国紙の神戸支局の記者たちに「忘れさせてなるものか」といった反骨心と連帯意識を生じさせた。この思いが新聞社の枠を超え、ジャーナリストの責務として記者たちを突き動かしてきた原動力だった。

 4紙と共同通信の記者がパネリストとなって毎年神戸で開催した震災報道シンポジウムでは、毎回のように社の立場を超えて報道のあり方や風化にどう立ち向かうかを論じ合った。仮設住宅でのアルコール依存症が問題になったころ、心のケアの必要性を訴えた記者に「モノやカネの支援はもういいのか」などと会場から怒号が飛び、激昂する人をなだめるのに一苦労だった。そんな抗議は新聞への信用と期待の裏返しであり、壇上の記者たちも臆することなく反論し、他の参加者たちから拍手がわき起こる場面もあった。

 被災者の住宅再建に向け動かぬ政治と対決する中で、記者たちは伝えることに力点を置いた客観報道から、事態を動かそうとするメッセージ性を強めた報道に転じていった。震災当時、朝日の神戸支局次長だった関西学院大学教授の山中茂樹氏は、これを「主体報道」と呼び、著書『震災とメディア』の中で、西宮で被災した作家の故小田実さんらと二人三脚で被災者生活再建支援法成立に向けてキャンペーンを張った毎日の記者たちを例に挙げた。

◆大震災報道が教えるジャーナリズムの原点

 今から振り返れば阪神・淡路大震災の報道は災害報道の壮大な実験だった。時間経過によって新聞への要求は変化し、記者たちは社内の「温度差」とも闘わねばならなかった。兵庫県紙である神戸新聞でさえ、被災地外の播磨や丹波、但馬地方を抱え、「また震災新聞か」との読者の冷ややかな声に耐えなければならなかった。全国紙はなおさらだろう。一方で、長期にわたる災害・復興報道の過程で、新聞こそが小田さんらのように国や地方行政を動かそうとする市民の力になれることを大震災は教えてくれもした。

 大震災の経験は、その後に起きた地震災害で救助や復興の手法を進化・普及させる契機となった。住宅の耐震化も思うように進んではいないものの必要性の認識は高まった。報道機関もマニュアルを整備し、いざというときの備えは震災前に比べればはるかに充実しているだろう。でも、事態を動かす報道・市民の力になれる報道はマニュアル化できない。災害・復興報道の過程で、報道のあり方を模索するのは記者自身であり、試行錯誤の中で作り上げていくしかない。社外ばかりか社内でも抵抗に遭い立ち往生することだってある。アドバイスできるのは、なぜ書くのかというジャーナリズムの原点に立ち、自らの良心に従うしかないということだけだ。

 空が白みかけた東遊園地で遺族のコメントを取材する若い記者たちにその望みを託し、14年目の鎮魂の場を後にした。(「ジャーナリズム」09年3月号掲載)

    ◇

服部孝司 はっとり・こうじ

神戸新聞社地域活動局長。1951年北九州市生まれ。大阪芸術大学卒。75年神戸新聞社入社。文化生活部長、編集局次長などを経て現職。

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