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【新聞】テレビに完敗した新聞の震災15年報道 パターン化した報道からの脱却を

2010年3月10日

  • 筆者 服部孝司

 阪神・淡路大震災から15年となった今年1月17日の神戸は数日ぶりに寒気が緩み、日曜日と重なったこともあって、追悼の場となっている東遊園地には過去最多の6万6千人が訪れた。神戸市長らが出席した式典会場には人があふれ、「1・17」にかたどった竹たけ灯とう籠ろうにもなかなか近づけないほどだった。昨年までは新聞記者やテレビのリポーターが遺族のコメントを取ろうと走り回っていたが、今年はそんな光景にほとんどお目にかからなかった。震災を経験していない神戸市民は36%に達している。人ごみをかき分けて歩かなければならない状態で遺族捜しは極めて難しかった。記者たちは血相を変えていてもおかしくなかったが、彼らの表情が緩んで見えたのも、この日は夕刊がなかったからだろう。

 15年の節目だけに被災地ではさまざまな関連行事が催され、どこもにぎわった。しかし、夜明け前の東遊園地に象徴されるように、生き残った者が死者と向き合う濃密な雰囲気は薄まり、過去の災害を歴史として思い起こすセレモニー的色彩がより強くなった。風化を食い止めようと参加型のイベントに力を入れるほど「1・17」が“祭典化”していくのはやむを得ないことなのかもしれない。

 その変化を新聞紙面も如実に反映しており、神戸で配られた17日朝刊で1面トップに震災関連の記事を掲載したのは毎日と地元の神戸のみ。朝日、読売、日経、産経(最終版はトップ)は小沢一郎・民主党幹事長の政治資金問題だった。翌18日朝刊は日経を除き全紙が16年目の被災地を1面トップで報じたが、東京では各紙ともトップどころか写真1枚にキャプション程度。震災はもはや関西のローカルニュースになっていた。

 ニュースバリューで紙面の扱いが決まるのが新聞の鉄則である。記事にインパクトがあれば小沢幹事長を押しのけることも可能なはずだ。震災報道が恒例の「周年もの」である限り、関西でもいずれ1面トップが定席ではなくなるだろう。今年も各紙の基調は「鎮魂」「伝える」「防災」であり、従来の紙面と代わり映えしない。社会面なども含め、見出しは「懸命に前へ」「支え合うこれからも」「伝える決意」などと現在進行形になっていても、記事の多くは回顧ものであり、アンケートなどに依拠した調査ものだった。報じる意味合いを否定はしないが、何度も読んだような記事に被災地外の読者は食傷気味だったに違いない。震災報道のパターン化が記憶を呼び覚ますどころか、逆に風化を助長する恐れもある。例年なら夕刊ネタの追悼ものを東京各紙が18日朝刊に大きく報じなかったのも道理だ。関西であっても、阪神・淡路よりけた違いに被害が大きいハイチの大地震を紙面の片隅に封じ込めて、15年報道を大々的に展開することにバランスの悪さを感じたのは私だけではあるまい。

 1月16日夜にフジテレビ系で全国放送された特別番組「神戸新聞の7日間」を見て、渦中にあった1人として懐かしく思いつつも、震災時の自分たちの行動が特別扱いされていることに一抹の罪悪感を覚えた。

あの時は無数の市民が血だらけの手で倒壊した家屋の屋根瓦を.がし、重い柱や梁を抱え上げて、生き埋めになった人を助け出した。炊き出しのため遠方の給水車からポリタンクを提げて水を運んだ。全国から駆け付けたボランティアは不眠不休で働いた。被災地すべてがドラマの舞台であり、何千人ものヒーロー、ヒロインがいた。私たちはその何千分の一でしかなかったのだ。そして、どの新聞社も同じ状況に直面すれば同じように奮闘するだろう。

◆テレビが掘り起こした埋もれていた写真

 皮肉ともいえるのは新聞メディアが「周年報道」の呪縛に苦しんでいるときに、テレビが新聞社を素材にして震災に肉薄し、関西地区で19・3%(関東地区15・3%)という高い視聴率を獲得した現実である。人気グループ「嵐」の櫻井翔ら名の知れたタレントを起用したことも注目された要因だが、大地震の被害、人と人の絆の大切さを震災後世代も含めて全国の人たちに伝えたメディア力の前に新聞は完敗だった。

 神戸新聞の紙面に15年間載らなかった1枚の写真の存在もテレビが掘り起こした。主人公の先輩カメラマンが、焼けて炭になった母親の遺骨を男の子が拾い集める光景を「ごめんな」と泣いて謝りながら撮る。多くの視聴者の胸を打ったシーンだ。男の子の顔はぼかしてあったもののテレビを通して初めて公表された、その1枚に震災の恐ろしさも、防災の必要性も、その後大きな問題になる遺児のケアも、すべて凝縮している。私はベトナム戦争時、戦火に追われ裸で逃げる少女をとらえたピュリツァー賞写真を思い出す。あの1枚が世界に大きな影響を与え反戦ムードを高めた。

 遺体写真は載せない。それが新聞のルールである。だからその決定的写真は退けられたのだろうか。ベテランカメラマンが撮らねばならないと決意した1枚である。なぜ掲載をためらったのか、編集局に身を置いた者として慙ざん愧きに堪えない。テレビはそんな新聞社のハードルをドキュメンタリードラマという手法で軽々と超えたのだ。

 新人時代、デスクや先輩記者に「切れば血が噴き出す記事を書け」と口すっぱく言われた。この写真こそ震災の実相をえぐる、まさに血が噴き出す1枚である。震災報道が看板の神戸新聞でありながら埋もれさせてきた未掲載写真を15年後にして掘り起こしたテレビスタッフに脱帽せざるを得ない。

 16年報道はさらに困難になる。取材拠点も各社勢ぞろいの東遊園地でいいのか。来年も記者たちが遺族を捜して走り回るのだろうか。この際、報道ルールも含めてすべての常識を捨ててみてはどうだろう。切れば血が噴き出す震災16年報道をテレビではなく新聞に求めたい。(「ジャーナリズム」10年3月号掲載)

   ◇

服部孝司(はっとり・こうじ)

神戸新聞社取締役地域事業本部長。1951年北九州市生まれ。大阪芸術大学卒。75年神戸新聞社入社。文化生活部長、編集局次長、地域活動局長などを経て現職。

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