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2012年6月8日
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メディアリポート

【出版】教育現場への「ICTの導入」 なぜ、もっと議論が起こらないのだろう

筆者 福嶋 聡

 なぜ、もっと出てこないのだろう?

 2009年に総務省が、それに続いて文部科学省も、「デジタル教科書」や「学校へのICT(情報通信技術)の導入」についての「近い将来のビジョン」を発表した。「紙の本」の差し当たりの優位を支えているものの一つが、「読書」の習慣性である以上、教科書のデジタル化は、出版界にとって目の前の大きな脅威と思えるのだが、それについての本の企画が、なぜもっと上ってこないのか?

 昨年12月に刊行された西田宗千佳著『リアルタイムレポート デジタル教科書のゆくえ』(TAC出版)の序章が「僕たちはデジタル教科書のことを何も知らない」と題されるのは、著者のみならず我々の多くが共有する思いである。

 ITシステムやIT機器が教室に入り込むことにより、学校教育の現場は間違いなく変わっていく。変化のベクトルは多様であり、数人が一台のiPadを共有する「グループ学習」に新しい可能性を見る人もいれば、「一人に一台」で家に持って帰っても学習できるのが理想という人もいる。

 これまで学校では、目の前にある「その文章」しか読んではいけなかった。他の文章を参照するという現実社会では当たり前のことが、許されない。だが、「一人に一台」電子端末があり、いつでもインターネットでの調べものができるとなると、授業のあり方自体が変わる。子どもたちに較べて教師の方に圧倒的に情報量が多いという状況は、簡単には望めなくなる。

 但し、その場合でも、教科書のデジタル化が自明とは言い切れない。今年100歳になる伝説の灘高教師・橋本武は、生徒と共に小説『銀の匙』(中勘助著)を3年間読み込み、テキストに登場した言葉、ものを徹底して調べる―実際に凧を揚げ、カルタ大会を催す。そうした横道にばかり逸れる授業で、彼は、多くの東大合格者を育てた(『伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力』日本実業出版社、12年)。後で述べる「素読」による「身体化」でもそうだが、むしろ紙の本の持つ実在性・典拠性こそ、そこから多様な学びに発展していくために必要不可欠な条件とも思える。

●教育は未来への最大の投資のはずなのに

 より「紙」に近い感覚をめざすもの、決して「いままでの紙の教科書をそのままデジタルにする」だけのものとはしないもの、デジタル教材の開発にも正反対の方向がある。

 IT技術の目まぐるしい進歩が、「教育」のかたちを根底的に変えてしまうこともある。

 渡部信一著『超デジタル時代の「学び」 よいかげんな知の復権をめざして』(新曜社、12年)は、コンピュータの処理能力が著しく上がった結果、対象のみならず文脈や状況までも取り扱うことが可能になり、「超」デジタルテクノロジーが伝統芸能の伝承に寄与する実践を、報告している。稽古や内弟子制度の中で、弟子は「師匠の思い」を継承する。「教え込み型」近代学校教育の対極にあり、モノやコトを1と0で記号化する「デジタル」が苦手としそうな、そうした「滲み込み型」の「学び」をも、現代のIT技術は支援できる段階に達したのだ。

 辻本雅史著『「学び」の復権』(岩波現代文庫、12年)によれば、「滲み込み型」の「学び」は、江戸時代の手習い塾の基本であった。そこで行われていたのは、儒学の古典を繰り返し「素読」することによって「身体化」することである。一斉授業ではなく一対一の対面型であるそうした「学び」は、塾や通信教育といった近代学校教育を補完する教育産業にも繋がる、と辻本は指摘する。その点は、「一人に一台」型のデジタル教育も共有する。

 このようにIT技術の発達は、近代教育の同一直線状の延長ではない、むしろブーメランのような軌跡をも予想させるのだ。

 一方、校務へのICT導入は、より話が簡単に思われる。『デジタル教科書のゆくえ』の著者西田が、取材の結果「70年代以前の事務仕事のような状態」と驚いたように、学校では、民間のビジネス現場に比べて大きくIT化が遅れている。その結果教師は非常に校務に忙しく、部活動や自身の教育のあり方を研究する時間も取れないという状態だからだ。

 教師の校務を効率化して負担を減らすことに異存はない。しかし、教師たちが実際に時間と手間を取られ、苦悩し、時には燃え尽きてしまう原因とさえなっている問題を、ICT導入が、どの程度解決もしくは軽減されるのかは疑問である。

 学校とは、勉学のためだけの場所ではない。安全に子どもを「保管」し、人との付き合い方を身につけさせる場でもある。教師の仕事は集団的サービス労働であり、モンスターペアレントや生徒との攻防に、「給料=慰謝料?」と感じられることもあるという(岡崎勝「センセー、もう話し合うのをやめて、多数決で決めて下さい!」「現代思想」、12年4月号、青土社)。ICT導入が有効な解決となるのは、教育現場におけるさまざまな困難な状況の、ごくごく一部に留まるのではないだろうか?

 生徒「一人に一台」の電子端末の配布ひとつとっても、莫大なお金が動く。授業現場や校務へのICT導入が万能薬であるかの言説は、そこに大きな利権が存在するが故のセールストークと見た方がよい。「黒板にチョーク、あるいはノートに教科書というものは、非常に使いやすいデバイスで、それを超えることはできない」との声もある。IT業界や経産省の思惑に、教育現場が騙され、踊らされてはならない。教師を、学校現場を圧迫しているのは格差の広がる社会の現状そのものなのであり、今必要で大切なのは、教育のありようをどうするのか、社会をどのように建て直すかを真剣に考え抜くことではないか?

 教育は、未来への最大の投資なのだから。(「ジャーナリズム」12年6月号掲載)

   ◇

福嶋 聡(ふくしま・あきら)

ジュンク堂書店難波店店長。1959年兵庫県生まれ。京都大学卒業。82年、ジュンク堂書店入社。仙台店長、大阪本店店長などを経て09年7月から現職。著書に『劇場としての書店』(新評論)など。

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